東の方でぶつぶつぶつ・・・

祝。

2024年10月1日 17時44分

こんにちは、村瀬です。

今日から令和6年度、下半期がスタートです。

本日も快晴。

10月ですが、真夏日(30度以上)になる気配です。

 

昨日は授業公開が行われました。

オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」にも記しましたが、

ご多用の中多くの方にお越しいただき、感謝感謝です。

せっかくお越しいただくのですから、

少しでもきれいな環境にしてもてなしたい。

ごくまれに、真っ当な思いを抱く村瀬は先週、

「まさおくん」(草刈りましん)や「かりあげくん」(電動ばりかん)と共に、

もさもさ、いや、もじゃもじゃしていた草木たちと、

連日戯(たわむ)れておりました。

運動場と校舎の間の植え込みなどは一通りさっぱりさせたのですが、

それ以外は時間切れ。(体力切れでもありました。)

さらに、植え込みからツンツン飛び出ている草たちも、

刈り取ったはずが、ちゃっかり復活しておりました。

土日に降った雨とこの陽射しのおかげでしょう。

ええい、こうなったら、

東小を包む草木たちの生命力の強さを感じていただこうと開き直り、

当日は交通整理に励んでいた村瀬です。

 

さて、話は思いきり変わりますが、

今日は何の日かご存じでしょうか?

新聞にも載っていましたし、

日進市にお住まいの皆様には、

極めてイージーな問題かも知れません。

そうです、本日10月1日は、

「日進市市制30周年」の記念日でございます。

この度はおめでとうございます。

こんなめでたい日ですので、

きっと日進市内の各ご家庭では、

今日は豪華な夕食が並んでいることと思います。

学校でも何か祝わねばと、

職員室で「シャンパンファイト」をしましょうと提案しましたが、

校長先生に却下されました。

 

ところで、30年前、

「日進町」から「日進市」に変わった頃のことを、

ご記憶の方はいらっしゃいますでしょうか。

驚かれると思いますが、

村瀬は、少し覚えています。

別に村瀬、日進市民だったわけでありません。

生まれてこの方、

日進市のとなり街から転出したことがない、

生粋(きっすい)のN市民です。

 

30年前、村瀬が中学生だった頃の話です。

ある日、

「日進町が日進市になる」

という情報が飛び込んできました。

村瀬とその仲間たちは、大騒ぎです。

「なんだと! なぜ日進が?!」

「裏切りおったな! 日進め!」

「今後、日進は『市民』で我々は『町民』・・・。

 この響きの差はあまりにもでかいぞ!」

「到底納得いかぬ! 我が町も市にすべきじゃ!」

などと、口々に不満をもらしていました。

さらには、後日、

「日進市になる日は、日進市の学校が休みになる」

との噂が耳に入ってきたのです。

「そんなばかげた話があるか!」

「『市民』がそんなに偉いのか!」

「これは抗議じゃ! 断固(だんこ)抗議じゃ!」

憤慨(ふんがい)した村瀬と2名の仲間は、

「日進は市より町が似合う!」

「日進より我がN町を市に!」

「となりの町の学校も休みに!」

と、画用紙に書き、

職員室の前に向かいました。

騒いだら叱られるので、無言で座り込みです。

職員室を出入りする先生たちは、

村瀬たちをちらりと見て、

苦笑いを浮かべるだけで、誰も構ってくれません。

しばらくすると、当時の学年主任だったN先生が来て、

「ご苦労様」

と、笑顔で声をかけてきました。

そして、

「そこはちょっとじゃまだから、こっちにこい」

と、3人を廊下の端(はし)まで連れていき、

「こっち向いて座った方が効果的だぞ。

 それに、正座した方がいいな」

と、壁に画用紙を向け、正座させられたのでした。

(平成初期のお話です。)

こうして、

村瀬たちのストライキは失敗に終わり、

貴重な休み時間がなくなったのでした。

 

ところで、

「日進市になる日は、日進市の学校が休みになる」

という話は本当だったのでしょうか?

猛烈に気になってきたので、

先程、教頭先生と一緒に調べて見ました。

東小学校の「沿革史」(年度毎の学校行事が記載されています)を紐(ひも)解き、

調査してみました。

平成6年度、10月1日の項目には、

『市制施行』

とのみ、記されていました。

どうやら、噂はデマだったようです。

 

そんなどうでもいい思い出はさておき、

この先、40周年、50周年と、

日進市がますます発展し、

子どもたちの笑顔があふれる街が続いていくことを願う、

心は日進市民の村瀬なのです。

 

それでは、また。