東の方でぶつぶつぶつ・・・

ただただ感謝。

2025年3月24日 13時23分

こんにちは、村瀬です。

ここ数日の気温の高まりもあってか、

職員室横の植え込みのユキヤナギや、

1年生が大切に育てている色とりどりのビオラの花が、

にぎやかに揺れています。

サクラはまだ顔を出しておりませんが、

先週より確実につぼみが膨らんでいる様子です。

 

そんな、春の真ん中がせまる今日、修了式が行われ、

全員に無事「修了証」(通知表の裏側に記されています)が渡されました。

本当は一人ひとりの手を握りながら、

祝福を伝えたいところですが、

子どもたちを戸惑わせること必定ですので、

この場を借りてメッセージを送ります。

 

みなさん、

この一年、本当によく頑張りましたね。

うまくいったこと、いかなかったこと、

様々なことがあったでしょうが、

今日を迎え、無事に次のステップへ上がれることを、

どうぞ誇(ほこ)りに思ってくださいね。

進級、おめでとう!

 

オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」にも記しましたが、

保護者のみなさんにも改めて感謝を述べたいと思います。

今日に到るまで、

子どもたちを、学校を、力強く、また、あたたかく支えていただきました。

今年度は特に、人手不足の状況が長く続くなど、

色々な場面でご心配をお掛けしました。

しかし、学校の状況をよくご理解いただき、

堪(た)え忍(しの)ぶだけでなく、多くのご支援をいただきました。

そのやさしさが、どれほど救いになったことか。

いくら感謝を並べても足りませんが、

教職員一同、心より感謝申し上げます。

誠にありがとうございました。

 

また、交通指導員さんや交通ボランティアのみなさんなど、

地域のみなさんのお力添えもあり、

子どもたちの安全は守られました。

今年度もありがとうございました。

 

加えて、学校運営が円滑に進むように、

学校教育課、学習政策課、学び支援課など、

市役所のみなさんにも、力強いサポートをいただきました。

その支援がなければ、

今日にたどり着く前に、学校運営が滞(とどこお)ってしまっていただろうと、

強く感じております。

本当にありがとうございました。

 

感謝を伝えるべき人や機関を上げればきりがなく、

おそらく夜までぶつぶつしないと収まらないほどです。

まとめてしまい心苦しいところではございますが、

今年度、東小学校を支えてくださった全てのみなさん、

ありがとうございました。

来年度も、子どもたちのために、

ぜひぜひ、ご支援をよろしくお願いします。

 

あ、それともう一つ。

このどーでもいいページをご覧いただいた、

そこのあなた様。

時折届く、かすかな応援の声を励みに、

今年度も「週一回ぶつぶつ」という、

本校の名所「あしがら山」(標高3m未満)より低い目標を、

どうにかこうにか達成することができました。

三日坊主、いえ、一日坊主で名高かった村瀬が、

こうして続けることができたのは、

あなた様のおかげです。

来年度、このページが残るかどうかは、

あまりにも無意味すぎて不透明な状況ですので、

ばっさりと消される前に、お礼を伝えておきますね。

ぶつぶつをのぞき、貴重な時間を無駄にしていた激レアなみなさん、

どうも、ありがとうございました!

 

さてさて、

一時(ひととき)の休息の後、

子どもたちのいつもの笑顔と再会できることを、

心から楽しみにしております。

 

それでは、また。

2175。

2025年3月20日 11時58分

こんにちは、村瀬です。

今日は春分の日ということで祝日ですが、

みなさん穏やかにお過ごしでしょうか。

お彼岸(ひがん)の期間でもありますので、

さきほど墓参りをしてきました。

帰宅後、誰も相手にしてくれませんので、

ひなたぼっこをしながら、こうしてぶつぶつしております。

 

さて、昨日無事に、卒業式が挙行されました。

オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」で記したように、

6年生は実に堂々とした姿勢で式に臨み。

「卒業生」へと姿を変えていきました。

そういえば、ご存じでしょうか。

式中に、6年生に対する呼称(こしょう)が変わることを。

式の始まりは、「6年生」と呼び掛け、

卒業証書を授与された後は、

「卒業生」に変わるのです。

最初は「6年生、入場」、

途中から「卒業生、起立」「卒業生、退場」、

というように。

以上、卒業式豆知識でした。

 

そんなことはさておき、

今年度も、卒業生の気持ちのこもった動きや呼び掛けの言葉、

心のそろった合唱に、「うっ」と胸を詰まらせた村瀬です。

当然ながら、保護者のみなさんは、

感動もひとしおだったのではと想像します。

 

そんな素敵な式の裏側で、

とんでもないハプニングが巻き起こっていたことは、

知られていないでしょう。

卒業生のみなさんはきっと気付いていますよね?

危うく、卒業させることができなくなるところでした。

昨年度は式中に人知れずやらかした村瀬ですが、

今年度もしっかりやらかしていた村瀬です。

その窮地を救ってくださった、

学校をいつも支えてくださっている業者様のNさん、Kさんに、

村瀬、いえ、教職員一同心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

この話は、卒業生のみなさんとの秘密、ということで・・・。

(きっとすぐ漏れるでしょうが。)

 

さてさて、ところで、見出しにつけた数字は、

何を表しているかお気づきでしょうか?

この話の流れで、ピンときた方も多くいらっしゃると思いますが、

これは、今年度の卒業生が、

入学してから卒業を迎えるまでの日数です。

 

2175日。

この間に、子どもたちそれぞれに、

またご家庭それぞれに、

様々なドラマが誕生したことでしょう。

きっと、

楽しいことや嬉しいことばかりだった、

というご家庭は、実に少ないのではないかと思います。

かなしみに打ちひしがれたり、

ため息が止まらなかったりと、

つらく、苦しい出来事が立ち塞がった時期もあったのではないでしょうか。

 

しかし、そんな日々を乗り越えて、

卒業の日を迎えることができた。

たとえ、大きな成長を遂げることができなかったとしても、

たとえ、思い描いていた活躍ができなかったとしても、

2175日を踏みしめて、

今日を生きている。

それだけで、十分すぎるほど、尊いことなのではないでしょうか。

 

ぶつぶつするまでもなく、卒業生が生きたこの六年間で、

世の中は激変しました。

その日々をくぐり抜けた卒業生、

そして、それを支え続けたご家族のみなさんに、

心からの敬意を表します。

 

卒業生のみなさん。

この先も、きっと思うにまかせぬことがたくさんあります。

でもね、大丈夫。

世の中は、あなたが思うほど、甘くはありませんが、

あなたが考えるほど、冷たくはありません。

どこかに必ず、差し伸べられた手があります。

苦しくなったら、遠慮なくその手をつかんでください。

そして、やがて乗り越え、元気になったら、

東小学校であなたがそうしていたように、

誰かに手を差し出せたら、最高ですね。

どうかいつまでも、そのやさしさを忘れずに。

おめでとう。

いってらっしゃい。

 

それでは、また。

忘れないこと。

2025年3月11日 21時37分

こんばんは、村瀬です。

今日は一日、ぐずついた空模様でした。

運動場からの声は届きませんが、

校舎の各所から元気な子どもたちの声が響いていた、

本日の東小学校でした。

 

ご存じのように、今日は日本にとって、

記憶に残すべき大切な日です。

東日本大震災が発生してから、

今日で14年目を迎えます。

オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」に記したように、

本校では全員で黙祷(もくとう)を捧げ、

震災で犠牲になった方々に哀悼(あいとう)の意を示すとともに、

被災された方々のご多幸を祈りました。

 

震災当日、

村瀬は東小学校で6年の担任を務めており、

発生時は子どもたちと体育館におりました。

体育館が揺れはじめると、

子どもたちは訓練通り、速やかに体育館中央に集まり、

頭を守りました。

それまでの地震の経験とどこか異なり、

ゆっくりと長い時間揺れていたように記憶しています。

揺れが収まった後、

子どもたちを下校させ、職員室に戻ると、

東北地方の惨状がテレビに映し出されていました。

 

その後の日々のことは、

きっと保護者のみなさんは覚えているのではないでしょうか。

様々なことが自粛(じしゅく)され、

東北地方だけでなく、

日本全体に暗い靄(もや)がかかっているような毎日でした。

すぐに卒業式を迎えたわけですが、

I校長(現教育長)の式辞や、来賓の方々の祝辞には、

無事に式が行えることの幸せに触れられた部分がありました。

 

震災が起きて一年と少しが経った頃、

現地のボランティアに参加させていただく機会がありました。

メディアでは、復旧・復興がずいぶんと進んだように報道されていましたが、

現地に行って唖然(あぜん)としました。

廃墟(はいきょ)と化した家々。がれきの山の数々。陸に残された大型船。

ヒマワリだけがきれいに咲いている、津波に襲われた小学校。

その時ほど、

メディアが伝えることが真実ばかりではないと痛感したことはありません。

 

わずか二日間、

側溝(そっこう)に詰まった泥をさらうという、

ごく簡単なことしか、お手伝いできませんでしたが、

ボランティアリーダーの方と話をする機会がありました。

その方はご自身も被災され、

多くの大切なものを失ったとのことでした。

ご自身の辛い体験や被災地の現状など、

多くのことをうかがいました。

そんな会話の中で、村瀬が教員であることを伝えると、

その方から次のようなことをお願いされました。

 

「ぜひ子どもたちに伝えてください。

 本当は、実際現地に来て、自分の目で見てほしいです。

 でもそれはとても難しいことでしょう。

 だから、『忘れないでほしい』のです。

 きっといつか、報道されることもなくなっていくでしょう。

 そうしたらきっと他の地域に住む人たちは、

もうすっかり元に戻った、大丈夫になったと思うものです。

 でも実際は、違うのです。

 失ったものが戻ることはもうないし、

 深い傷が簡単に治るものでもない。

 忘れないでいてくれることが、

 ぼくたちには大きな慰(なぐさ)めになるのです。

 だから、忘れないでほしい。

それも一つの、大切なボランティアだとぼくは思います」

 

村瀬はその約束を守り、この時期になると、

担任している学級や授業に入ったクラスの子どもたちに、

ボランティアリーダーの言葉を伝えてきました。

今年はあいにく、節目の日に授業がないので、

こんなページではありますが、ぶつぶつさせていただいています。

 

これは何も、東日本の話だけではありません。

阪神・淡路、新潟県中越、北海道南西沖・胆振東部、熊本、能登半島、宮崎など、

村瀬が思い返すことができる大きな地震のだけでもこれだけの被災地があります。

まして、先日発生してしまった山火事をはじめ、

台風や洪水、大雪などの被災を加えたら、切りがないほどです。

「戦争」という惨禍(さんか)も加える必要があるでしょう。

 

私たちは慌(あわ)ただしい日常の中で、

そんな悲しい出来事でさえ、ついつい忘れてしまいます。

でもそれは、仕方のないことなのだろうとも思います。

しかし、こういった節目節目で立ち止まり、

被災された方々に想いを寄せる。

それはとても、大切なことなのではないかと、

ボランティアリーダーの言葉から村瀬は痛切に感じました。

 

現在東小学校に通う子どもたちは、

当時のことを誰も知りません。

それだけ、時は流れました。

けれどもきっとまだ、復旧・復興を果たしていない地域や、

元気を取り戻せていない方々もいらっしゃることでしょう。

いまだ故郷に戻ることのできていない方も大勢いらっしゃいます。

そのことを忘れずに、

子どもたちに伝え続けていきたい。

ありふれた日常を送ることがどれだけ幸せであるのか、

そのことも併せて伝えていきたい。

校舎に響く子どもたちの声を聞きながら、

当たり前の日常がここにあることに幸せを感じつつ、

そんなことを考えていた、3月11日の村瀬です。

 

それでは、また。

優しさの汚れ。

2025年3月6日 12時30分

こんにちは、村瀬です。

珍しく雨の日が続きましたね。

陽射しがないことや、外から響く子どもたちの声がないことは、

残念ではありますが、

岩手県大船渡市の山林火災にとっては、

恵みの雨になっている様子ですので、何よりです。

どうかこれ以上、被害が広がらないようにと、願ってやみません。

 

さて、とうとう3月に入りました。

年度末の学校の忙(せわ)しなさは、

「目まぐるしい」という言葉がふさわしいように感じます。

今週末には「6年生を送る会」が予定されており、

気持ちよく送りだそうと、門出に向けて全校が動き回っております。

もちろん6年生は言うまでもなく、

卒業に向けての日々(なんともう、9日!)を、

悔いなく過ごせるように活動しております。

 

学習も、まとめのシーズンとなっております。

村瀬が担当する授業についても、

いよいよフィナーレがせまっております。

社会科専攻の村瀬が、

外国語、そして途中から図画工作を担(にな)うという、

謎の二刀流でここまで突っ走ってきました。

子どもたちや保護者の皆さんの不安をひしひしと感じておりましたが、

どうにかこうにか、全ての単元を完了できそうです。

これは紛れもなく、子どもたちの優しさと努力の賜(たまもの)です。

「いいかきみたち、

授業は先生だけでつくるものじゃない。

きみたちの支えや努力があって成り立つものだ。

さあ、ともに授業を築こうじゃないか」

と、よく口にする村瀬ですが、

今年度の村瀬の授業を分析すると、

村瀬の努力と子どもたちの努力の割合は、

「3:7」、

いや「2:8」、

下手すると「1:9」かもしれません。

さらに村瀬の努力と書いたものの、

外国語については、

英語専科のS先生やALTのT先生、

図画工作については、

6年担任のF先生の支援がハンパないので、

ほとんどお三方の功績といえます。

つまるところ、村瀬は何をしていたのだろう?

ただ、そこにいただけ。

でも、そこにいただけで、授業が進むなんて、

素晴らしいことではないか!

と、開き直りたいと思います。

 

ところで、

「自分が汚れたとしても、誰かが喜んでくれたらいい。

面倒なことであっても、誰かの笑顔を見られたらいい」

という子が東小には多く、

4年生の子どもたちからも強く感じたということを、

前回はぶつぶつしましたが、今日はその話を。

 

つい昨日まで、

図画工作の最後の単元として、

「版画」の制作に取り組んでおりました。

以前にもぶつぶつしましたが、

授業の流れや彫刻刀の使い方などを師匠F先生から学び、

おかげで楽しみながら、全員が無事に版を完成させることができました。

しかし、版画はこれで完了ではありません。

版にインクを広げ、紙に写しとって初めて完成となります。

この作業が、なかなかの鬼門です。

下手したら、作品がうまく刷り上がらない、

そして、全員がインクまみれの地獄絵図となる可能性もあります。

当然のことながら、F師匠から再び指導を受け、学習です。

「インクはこのくらい。ローラーはこう。

 紙の向きはこうで、「ばれん」はこう使う。

 それで、こうして、こうして、こうして、完了。

わかった?」

「うん・・・」

 

まるで自信がないなかで、いよいよ実践です。

F先生に教えられたことを子どもたちに見本として偉そうに示します。

「いいかね、きみたち、

インクはこのくらい。ローラーはこう。

紙の向きはこうで、「ばれん」はこう使う。

それで、こうして、こうして、こうして、完了。

あれ、ここをこうだったけ。

あ、ちがう、ここをこうだ。

えっと、それで、ここはこうか。

ん? ちがうか・・・。まあ、いっか。

分かった?」

「まあよくない!」

と、つっこまれながらも、

いよいよ作業開始です。

 

目を覆(おお)いたくなるような失敗の連続。

そんな悪夢を浮かべていましたが、

開始早々それは払拭(ふっしょく)されました。

子どもたちは村瀬のつたない説明からでも、要点をしっかりとつかみ、

見事に刷り上げていくではありませんか!

さらに嬉しかったのは、

自分の作品を完成させた子どもたちが、

次々に仲間を手伝う姿が見られたことです。

しかも、4年生、全クラスです!

 

作業が進むと、子どもたちの中で、次第に役割ができあがっていきます。

ある者は「店長」として、てきぱき指示を与えたり、

ある者は「職人」として、インクを練り上げたりばれんの使い方を指導したり、

ある者は「ラッピングセンター」として、

インクが付いた版を持ち帰れるよう、新聞で包んだり、

ある者は「清掃請負人」として、木くずの回収に励んだり。

うまく刷り上げられなかった友達を優しく慰める子もいたり、

使い終わったインクまみれのローラーやパレットを、

使う前よりきれいに洗ってくれる子がいたり。

素晴らしい光景でした。

3つのブースに分けて印刷していたのですが、

だんだんと競合店の様相を呈していき、

「あっちより速く上手に仕上がるよ」

「うちのインクは最高だよ」

「今ならサービスで、新聞紙二重にしてあげるよ」

と、謎の掛け声も飛び交ったり、

「うちの店長、人づかい荒(あ)らいよ・・・」

「あっちの店に転職しようかな・・・」

「ぶつぶついってないで働きなさいよ!」

といった、愚痴や叱責まで聞こえてきたりと、

実に楽しい空間でもありました。

「あの、私も何かお手伝いしましょうか?」

と、とある店長に問い掛けたところ、

「村瀬はじゃまにならないように、

 教室の後ろから見てたらいいんじゃない?」

なんて、実に的確な指示までいただきました。

そんな子どもたち自身が作り上げた組織のおかげで、

全員が素敵な作品を完成させたのでした。

 

ただ、一つだけ問題が生じてしまいました。

人のために頑張りすぎたせいで、

インクにまみれた子どもたちが大量発生してしまったことです。

一応、「汚れてもいい服」で、というお願いはしたものの、

ここまで汚していいなんて、きっとお家の方は思ってないぞ、

というレベルの汚し方をしている子が多すぎました。

4年生保護者の皆様、

誠に申し訳ありませんでした。

しかしこの汚れは、友達を想った「優しさの汚れ」でございます。

子どもたちだけでなく、

村瀬も買ったばかりのジャージを汚して、

相方にこっぴどく叱られました。

それに免じて、どうぞお許し願えませんでしょうか?

 

それでは、また。

ぞうきん師匠。

2025年2月28日 15時35分

こんにちは、村瀬です。

前回ぶつぶつしたことを心掛け、

お茶を飲み、一息つきまくっていたら、

気がつけば週末を迎えてしまっておりました。

おかげで仕事は山積みの上、

週一回ぶつぶつという低すぎる目標さえも、

未達成になってしまうところでした。

何事も、ほどほどが肝要(かんよう)ですね。

 

さて、今日はオフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」でも記したように、

6年生が奉仕活動として、

後輩たちが気持ちよく学校生活を過ごせるようにするため、

様々な場所に分かれて力を尽くしてくれました。

棚の整理、扇風機や窓の拭(ふ)き上げ、器具庫内の整頓、

床の水拭き、ワックスがけ、

悪名(あくみょう)高き北館トイレの徹底清掃などなど、

それぞれの持ち場に分かれて力を尽くしてくれました。

人が嫌がるような場所でさえ、

全力を上げて清掃する姿に、感動を覚えました。

 

自慢ではありませんが、

村瀬、中学生まで、掃除が大の苦手でした。

学校の掃除の時間、

どれだけの時間をサボってしまったことでしょう。

叱責(しっせき)された日は数知れず、

中学3年の担任O先生からは、卒業文集に、

「きみはいつ掃除をするようになるのだろう」

と、寄せ書きされたぐらいです。

現在、てきとーに掃除をしている子どもたちに対して、

「ちゃんとやらんかい」

と、指導している自分をO先生が目にしたら、

「どの口が言う!」

と、つっこまれること必定(ひつじょう)であります。

 

掃除の時間を会話の時間と勘違いしていた少年村瀬の心が、

すっかりと入れ替わったのは、

高校生のときでした。

 

ホームルーム(学活)の時間だったと記憶していますが、

大掃除をすることとなりました。

担当場所をくじ引きで決めたのですが、

ちゃんとくじ運のない村瀬は、

見事に「トイレ掃除」を引き当てました。

村瀬が通う高校は、本校北館よりもずっとレベルが高いのきれいさで、

息を止めて使用することもあるくらいでした。

やれやれ、まあいっか、てきとーにしゃべって過ごそっと、

なんていつも通りの愚かな思考で、

掃除道具を手にして3人の仲間と向かいました。

いつも通り、荒れたトイレに着いて早々、

度肝(どぎも)を抜かれる出来事に遭遇(そうぐう)しました。

一緒に担当していたTくんが、

「よっしゃ!」

と、気合いを入れると同時に、

ぞうきんを水でしぼると、

躊躇(ちゅうちょ)することなく便器の中に手を入れ、

ごしごしこすり始めたのです。

お互い驚きの表情を浮かべ、もう一人の友達Sくんと顔を見合わせました。

そして、奇遇(きぐう)にも同じ感想をこぼしたのです。

「ちょー、かっけーーー!(すごく、かっこいい)」

村瀬もSくんも、Tくんをまねて、

その後黙々と、便器をこすり続けたのでした。

村瀬が懸命に掃除したのは、その時が初めてだったのかもしれません。

 

終わった後、最初よりずいぶんきれいになったトイレを見て、

なんとも言えない達成感を感じました。

Tくんにどうしてそんなことができるのか問うと、

「ずっと気になってたんだよね。

 それに、誰かが喜んでくれたら最高じゃん。

 手が汚(きたな)くなっても、洗えばきれいになるし」

という答えが返ってきました。

村瀬とSくんは再び顔を見合わせ、

「ちょーーー、かっけーーーー!」

と、同じ感想をこぼしたのでした。

それ以降、Tくんのことを「ぞうきん師匠(ししょう)」と呼び、

崇(あが)め立てたのでした。

(Tくんはそう呼ぶ度に嫌そうな顔をしていましたが。)

 

奉仕活動に奮闘する子どもたちを見て、

その懐かしい出来事を思い出しました。

自分が汚れたとしても、誰かが喜んでくれたらいい。

面倒なことであっても、誰かの笑顔を見られたらいい。

「ぞうきん師匠」の考え方のように行動できる子が、

東小学校にはたくさんいるように思います。

今日は6年生だけでなく、

4年生の行動からも強く感じました(その話は次回ぶつぶつで)。

きっとその子たちの心は、

ぴかぴかに磨(みが)かれているのだろうなと確信します。

村瀬は純粋にそんな子どもたちを尊敬しています。

そして、少しは見習って、

このくすんだ心をちょっとを輝かせることができたらと、

考えているのです。

 

それでは、また。

まあ、お茶でも。

2025年2月18日 16時54分

こんにちは、村瀬です。

今週は再び強烈な寒波が訪れているとのことで、

気温が低い一日となっております。

それでも、陽射しがあったおかげで、どうにか穏やかに過ごせました。

 

気がつけば、2月も半ばを過ぎ、

卒業式や修了式がもうすぐのところまできております。

「気がつけば」

が大げさな表現ではなく、

私は一体、何をして過ごしていたのだろう、

と感じることが毎日のようにある、村瀬です。

先日、給湯室に置いてあるはずのマイコップが、

更衣室のロッカーの中に置いてありました。

私は一体、何をして過ごしていたのでしょう。

これが悪質な嫌がらせでないことを願いつつ、今日を迎えております。

また違う日、

机に「ここを直す」という付箋が貼ってありました。

私は一体、どこを直そうとしていたのでしょう。

結局分からないまま、今日を迎えております。

 

先週の金曜日のことです。

村瀬はいつも通り、ばたばたしておりました。

早歩きで廊下を行ったり来たりしていると、

何度も同じ子どもたちとすれ違い、

「村瀬、さっきも通ったよね」

「あ、これはこれは、またお会いしましたね」

「村瀬、何してるの? 忙(いそ)がしそうにして」

「お、これはこれは、その言い方ですと、

 まるで忙しいふりをしているかのように捉(とら)えられていますね。

 実際、忙しいのですよ」

「それは村瀬のせいなんでしょ?」

「は、これはこれは、見事に見抜かれておりますね。

 そうです、村瀬のキャパシティーが乏(とぼ)しいために、

 このような事態(じたい)になっておるのです。

 ええ、ええ、全く、その通りでございます」

「それで、キャパシティーって何?」

「キャパシティーというのはですね・・・」

なんて交流が生まれました。

そんな中で、

右往左往している村瀬が通り掛かったとき、

一人の高学年(たぶん)ボーイが、

「まあまあ、そんなに慌(あわ)てなさんな」

と言葉をこぼしました。

その言葉が耳に入ったとき、

まるで警策(きょうさく)で肩を打ち付けられたかのように(座禅を組んでいる修行僧がばしっとやられる光景を思い浮かべてください)、

村瀬は「はっ」と目が覚めた気分になったのでした。

 

今から10年以上前、

村瀬が担任として東小学校に勤めていた頃の話です。

学級経営やら部活動やら運動会やらなんやかんや、

様々な活動に翻弄(ほんろう)され、今と同じようにばたばた活動しておりました。

これまた今と同じように処理能力や指導力が乏しく、

うまくいかないことばかり。

それに焦(あせ)り、余計に悪循環(あくじゅんかん)を招き、

ばたばたの日々に拍車をかけているような状況でした。

 

そんなとき、現在日進市で教育長を務めておられる、

当時の東小の校長、I様から呼び出されたのでした。

ああ、こりゃ、ど叱(しか)られるかなあ。

あのことか。いや、このことか。

思い当たる節(ふし)が多すぎて、

ちびりそうになりながら、校長室へ向かう村瀬。

「失礼しまーす」

ノックして入ると、

I校長はにやにやしてソファーに座っております。

村瀬が座ると、I校長は村瀬に一言こう告げました。

「きっさこ」

村瀬は謎の言葉に戸惑います。

村「きっさこ?」

I「そう、きっさこ」

どうやら発音は合っているらしい。

村瀬は頭の中で謎解きに挑戦します。

「きっさこ」って何だ?

「きっさ」と言えば、「喫茶」のことか?

「『喫茶』こ」?

「こ」はなんだ? 何かを略(りゃく)しているのか?

は! そうか!

「こ」は「行こ」を省略しているのだ!

つまり、「きっさこ」とは、

「喫茶店に行こう」ということだ!

村「校長先生、お誘いいただき、ありがとうございます。

 しかしながら、まだ勤務時間中でございます。

 あと1時間程で退勤可能時間となりますので、

 もう少々お待ちください。

 その後、ぜひ、喫茶店に行きましょう!」

村瀬の回答に対してI先生は、

I「おたんちん、そういうことじゃない」

と返し、簡単に説明してくれました。

「きっさこ」とは『喫茶去』と書く、

『禅語(ぜんご)』の言葉だということです。

意味としては、

現在では「お茶でも飲んでいきなさい」

という意味合いで使われる場合が多いそうです。

意外と村瀬の予想は的外れではなく、驚きました。

(かつては「お茶を飲んで目を覚ませ」という、

 相手の怠惰を叱責する言葉だったみたいです。)

「禅」の世界では、この言葉からより深い意味を見出すようですが、

I校長は簡単に説明してくれた後、

村瀬にこう伝えてくれました。

I「まあ、一息つけ。

 慌(あわ)てると、うまくいくこともいかなくなる。

 そんなに焦らなくても、なんとかなるから」

村瀬の日常を見てくださっていたのでしょう。

たった漢字三文字の一言で、

力(りき)みに力んでいた村瀬の心身を、

見事に緩(ゆる)めてくださったのでした。

 

それ以来、目まぐるしい日常に翻弄されそうになる度、

I教育長から教わった「喫茶去」という言葉を思い出し、

立ち止まるように心掛けています。

しかし、今回は、

その言葉を思い起こすことさえ忘れて駆け回っていました。

それを、高学年ボーイが思い出させてくれたのです。

「確かにきみの言う通りだ。

焦っていたら、ろくなことはないね。

 また、思い出すことができたよ。

 きっときみは、やがて教育長になることだろう!

 ありがとう、未来の教育長!」

そう叫んで振り返ると、少年はおりませんでした。

ひょっとしたら、I教育長の幻(まぼろし)を見たのかもしれません。

 

さて、ばたばたした日々を過ごしているのは、

なにも村瀬だけではないのかと存じます。

なんだか世の中自体が、

大変忙(せわ)しなく、慌(あわ)ただしい流れに感じます。

その流れの中に、きっと子どもたちもいることでしょう。

「忙しい」「慌ただしい」という漢字の組み立てはそれぞれ、

「心を亡くす」「心が荒れる」からきているといわれます。

そんな状態では、確かにうまくいくこともいかないでしょう。

お茶でも飲んで一息つく。

まあ、なんとかなるでしょ。

そんな風に考えながら、

誰もがもう少しゆとりを大切にできたら、

学校は、いや、世界はもっと、

過ごしやすい環境になる気がしてなりません。

 

なんて、一息つくためにぶつぶつしていたら、

今年度最長になってしまいました。

ごめんなさい。

でもまあ、ここまで付き合ってくださったあなた様も、

村瀬と一緒に、気が抜けましたね。

よかった、よかった。

しかし気がつけば、書類の山ができあがっております。

ちょっと気を、抜きすぎたかも。

 

それでは、また。

手を合わせて。

2025年2月13日 18時48分

こんばんは、村瀬です。

時間を追うごとに寒さが身に沁(し)みてきます。

先程まで、外で活動していたので、

手足の末端(まったん)が凍(こお)っているようです。

その場所にお湯を当てて、

ジンジンしびれる感覚を得ることが、

村瀬の冬の楽しみと立っております。

 

「村瀬、いつもとちがうね」

「村瀬、なんでそんなちゃんとしたかっこうしてるの?」

「村瀬、かっこつけてるの?」

今日は通りがかる子どもたちや授業中に、そんな声がたくさん飛んできました。

いつもヨレヨレのジャージで動き回っている村瀬が、

珍しく朝からスーツを着ていたからでしょう。

「何を言っているんだきみたち、

 先生はジャージの下にいつもこの服装をしのばせているのだよ」

「うそつけー」

「どうだい、『大人村瀬』は? まぶしいだろ?」

「まったくー」

「にあってなーい」

「じじくさーい」

罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ、べこべこにへこんだ村瀬です。

 

なぜそんな服装をしていたかというと、

オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」にも記しましたが、

本日は「入学説明会」があったからです。

担当が村瀬ということで、

すでに兄弟姉妹が東小に在籍している新入生の保護者の皆さんは、

不安におののいていたことでしょう。

その不安は見事に的中したといってもよいのではないでしょうか。

私は今、何を言っているのだろう、

と、考えながら数々の説明をしている自分に、

今さらながら、絶望感を感じております。

パワーポイントを操作することも忘れ、

脇に用意したレクチャー台は誰も使わず、

私は一体、何を準備していたのだろうと、

今さらながら、穴があったら入りたいと思い、

机の引き出しに足をかけております。

 

しかしそんな村瀬の説明に対して、

誰一人ヤジを飛ばす方はいらっしゃいませんでした。

さらには、

うなずきながら聞いてくださる方までおられました。

「菩薩(ぼさつ)がいる!」

と、村瀬は心で手を合わせておりました。

心優しき聴衆のおかげで、村瀬は泣きながら飛び出すことなく、

どうにか最後までその場にいることができました。

新入生の保護者の皆さん、本当にありがとうございました。

 

会の途中で、

PTA会長のT様の話がありました。

その流暢(りゅうちょう)な話し方に、

その分かりやすく意義深い内容に、

村瀬は圧倒されました。

まるで後光(ごこう)が差しているかのように、

眩(まぶ)しく見えたのでした。

「ここにも菩薩がいる!」

と、村瀬は憧(あこが)れを抱きながら、

再び心で手を合わせておりました。

T様、本日はお忙しい中、ありがとうございました。

 

会終了後には、「お迎え当番」を決めましたが、

様々な分団でお互い譲り合ったり、カバーし合ったりする姿が見られました。

「あそこにも菩薩がいる!」

三度(みたび)心で手を合わせる村瀬。

さらに、それぞれの分団の話し合いを支えるために、

PTAの地区長様たちが、見事な立ち回りを見せていました。

「こんなところにも菩薩が!」

もう心ではなく、しっかりと手を合わせていた村瀬です。

地区長のみなさん、お支えいただき、ありがとうございました。

 

おかげ様で、

底冷え激しい体育館でしたが、

心をたくさんあたためることができました。

新入生の保護者のみなさん、

お子様の健やかな成長のために、

どうかそのあたたかさをこれからも大切にしていただき、

学校生活を支えていただけますと幸いでございます。

 

それでは、また。

感謝の公開。

2025年2月7日 08時00分

こんにちは、村瀬です。

予報通りの強烈な寒気ですね。

冷え込む日が続き、

首が縮み、

背が丸まり、

おそらく身長が5cm程低くなっております。

今日も車や土がうっすら雪化粧をしておりました。

そういえば、二日前の朝にも、

雪がちらつきましたね。

震えながら挨拶をしていると、

3年生の少女が、

「村瀬、老(ふ)けたね」

と告げてきました。

「はっはっは。

 雪が髪についているからってことだね。

 なかなか良い発想だね」

と、村瀬は余裕の笑みを返しました。

「雪、関係ないよ」

「なんですと!

 いや、確かに、

 どちらかというと右側に目立っていた白い毛が、

 ここのところ左側にも一気に増えてきたな、なんて、

 鏡に映る自分を見て深いため息を重ねていたけど、

 いや、これは光の加減に違いない、

 そうだそうだ、気のせいだ気のせいだと、

自分に言い聞かせてはいたが・・・。

少女よ、もう一度よく見て見るのだ。

これは雪のせいであろう!」

「ううん。白髪(しらが)だよ」

「ぶはっ!」

そう言い残して去って行く少女。

崩れ落ちる村瀬。

子どもは時に、実に残酷なほど正直ですね。

見るに見かねたのでしょう、2年生の少女が、

うなだれる村瀬の髪についた雪を、

そっと払ってくれたのでした。

 

そんなことはさておき、

昨日は授業公開でした。

大変多くの方にご参観いただき、ありがとうございました。

私たち教員はもちろん、

子どもたちも嬉しく思っていたことでしょう。

今年度より赴任した校長先生も、

授業公開にお越しいただく人の多さに大変驚き、

喜びも感じておられました。

 

また、いつものことながら、

子どもたちの手本となるようなマナーの良さで、

来校していただいたり参観していただいたりしていただきました。

このことについても深く感謝しております。

再三お伝えしている通り、

現在東小学校はバリバリ人手不足で、

駐車案内等、保護者のみなさんの良識に委(ゆだ)ねる状況が生まれてしまいました。

それでも、事前の案内や、

しどろもどろで鼻声の校内アナウンス(担当村瀬)に従い、

粛々(しゅくしゅく)と行動していただきました。

寒い中外で待機させてしまう状況や、

凍えるような廊下から子どもの様子を参観させてしまう状況を生んでしまい、

大変心苦しく思っておりました。

場合によっては暴動が起きることも覚悟しておりましたが、

どなたもぐっと堪え忍んでくださいました。

ありがとうございました。

 

1年生の成長した姿に大きな拍手を送っていただいた方、

2年生の開発した斬新(ざんしん)なゲームに大笑いしていただいた方、

3年生の合唱やリコーダー演奏や、

6年生の想いや決意発表に目頭をぬぐっていらっしゃった方、

4年生の福祉、5年生の防災の発表に、

子どもたち以上に真剣に話を聞いていただいた方など、

様々な姿が参観されている保護者のみなさんにも見ることができました。

それも嬉しく思います。

また、そんな姿が、子どもたちの励みや今後の意欲につながることと思います。

重ねて御礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

今回、やむにやまれず参観できなかった方もいらっしゃるでしょう。

また、参観スタイルが2学年ずつであったために、

一人のお子様をじっくりと見てあげることができなかったご家庭もありました。

大変申し訳なく思いますが、

そんなみなさんに伝えたいことは、

子どもたちはみんな、その子なりのペースで、

確実に前に進んでいます、

ということです。

近くに寄りすぎていると体感できないかもしれませんし、

時に後退しているように見えることもあるかもしれません。

しかし、間違いなく、

前進しているものです。

その歩みは学校だけで達成できるものではありません。

ご家庭の支えがあって成り立つものです。

そのことについても、

深く感謝申し上げます。

いつもありがとうございます。

そして今後も、

学校と家庭が手をつないで、

子どもたちのためにともに歩んでいけたらと願います。

 

ところで、交通誘導している際に、

このぶつぶつを楽しみにされていると、

声を掛けてくださった保護者様が数名おられました。

感激の極みでありました。

そんな声に後押しされて、

バタバタ感にやられてつまづきそうになっていた、

週に一度はぶつぶつ、という圧倒的に低いハードルを、

どうにか今週も越えることができました。

ありがとうございます。

 

と、いうわけで、

オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」にも記しましたが、

感謝がいっぱいの授業公開となったのでした。

 

なんて、昨日の帰り、素敵な時間だったなあと噛みしめるとともに、

ある気持ちが芽生えました。

我が子まーがれっと(通称)の活躍を見てみたいと。

帰宅後、早速相方に問います。

「まーがれっとの授業公開はいつじゃ?」

相方は答えます。

「終わったよ」

「なぬ?!」

呆然(ぼうぜん)とする父。

部屋の奥でにやりと笑うまーがれっと。

村瀬家の中にも、

強い寒気が流れ込んでいるようです。

お後がよろしいようで。

 

それでは、また。

初めて。

2025年1月29日 15時32分

こんにちは、村瀬です。

先週と打って変わって、震(ふる)える日が続いております。

身体的にはきついものがありますが、

冬の時期に冬らしい気候が訪れると、

どこかほっとする気持ちが生まれるのは、

村瀬だけでしょうか。

 

ところで、

ぶるぶるぶるぶる村瀬が震えている理由は、

寒さのせいだけではありません。

先週末より、

「刀」を扱う授業に取り組んでいるからです。

もちろん、銃刀法(じゅうとうほう)にひっかかるような代物(しろもの)ではありません。

図画工作で扱う、

「彫刻刀」でございます。

しかし、なめてはいけません。

扱い方を間違えれば、

ちゃんとけがをします。

場合によっては、大けがです。

 

学校において、初めて彫刻刀を使用するのは、

4年生です。

そのときに、正しい扱い方を身に付けていれば、

けがを負う心配は低下します。

逆に言えば、

最初の段階でてきとーに教えてしまうと、

けがを負う心配が大幅増となるでしょう。

 

そんな極めて重要な役割を担うことになったのが、

他でもない、そう、村瀬なのです。

自慢ではないですが、

村瀬自身、

彫刻刀を初めて使用する図工の授業で(当時も4年生です)、

クラスで、いえ、学年で、

誰よりも早く、けがを負いました。

それも、開始早々、です。

「彫刻刀を持っていない方の手を、

 決して、彫刻刀の前に置いてはいけないよ」

と、教えられた直後に、

彫刻刀の前に手を置いていたのです。

担任、そして、養護教諭の先生に、

深いため息をつかれたことを、

今でも鮮明に覚えております。

そりゃ、つきますよね。

 

そんなトラウマを抱えた村瀬が、

久しぶりの彫刻刀の指導。

そりゃあ、震えますよね。

だからといって、逃げるわけにはいきません。

そこで、図画工作のエキスパート、

F先生に弟子入りし、

彫刻刀の安全な扱い方や授業方法などを身に付けるべく、

授業をしていただいたのです。

村「師匠、持ち方はこんな感じでしょうか?」

F「ちがう! 指をもっと伸ばす!」

村「こう、ですか?」

F「ちがうちがう! こう!」

村「あ、なるほど、こうですね」

F「全然ちがう! おたんちん!」

超(ちょう)がつくほど不器用な村瀬に、

F先生は呆(あき)れながらも、あきらめず最後まで付き合ってくれ、

授業の展開方法やワークシートまで、

村瀬、というより、4年生が困ることのないよう考えてくださいました。

 

F先生の献身(けんしん)により、

現在、3クラスが初めての彫刻刀体験を終えましたが、

なんと、けが人は、「0」です!

いや、当たり前なんでしょうけど、

村瀬はとても嬉しいです。

初めて彫刻刀を使った子どもたちも、

「おーーーー」という声が上がったり、

「これ、楽しいね」「もっとほりたい」

なんて前向きな声がたくさん聞こえてきました。

二重に喜びを感じております。

 

この図画工作の授業で、

彫刻刀以外に「初めて使った」と声が聞こえてきた道具が、

もう一つありました。

それは、

「ホッチキス」(ステープル)です。

 

村瀬は少し驚きましたが、

けっこうな数の子どもが、自分で初めて留(と)める、

とのことでした。

「村瀬、これ、どうやってやるの?」

「いいかい、ここに紙をはさむのさ。

 そして、この部分を親指でふんがーっと力を入れたら、

 パチッと留まるってわけさ」

「ここを、こうして、こう?

 ふんがーっ!

 あ、できた! すごーい!」

初めての体験に感動する子ども。

それを見て感動した村瀬です。

 

考えてみれば、なんでも「初めて」のときがあるわけです。

そして、そんな「初めて」が、

学校にはたくさん転がっているのです。

もちろん、良い感情が生まれる「初めて」だけではなく、

苦い「初めて」もあるでしょう。

それでも、どれもが、貴重な体験といえるでしょう。

 

たくさんの「初めて」に立ち会える私たち教員は、

素敵な環境に身を置けているのだなあと、改めて感じます。

子どもたちの「初めて」が、良い方向に向かうように、

ほんの少しでも支えになりたいなと思い、

今日もF先生に教えを請(こ)う、村瀬なのです。

 

それでは、また。

ちょっとした宝物。

2025年1月21日 11時47分

こんにちは、村瀬です。

今週は暖気が広がっているそうで、

三月上旬の気候が続くと聞きました。

丸まった背中が、少し伸びている気がします。

 

さて、3学期が始まって2週間ほどが経過しました。

冬休みの充電が少しずつ切れはじめ、

体調が思わしくない子どもも少し増えたかな、という感があります。

村瀬のバッテリーはすでに空(から)となっております。

いや、そもそも、ぶつぶつした通り、

充電できずにスタートを切ってしまったのかもしれません。

ここのところ、腰の状態も芳(かんば)しくなく、

時折、パソコンを棚の上に置き、

立ちながら仕事をすることもあります。

立ちながら仕事をすると効率があがる、ということで、

村瀬スタイルを推奨(すいしょう)したオフィスが紹介されるのを見たことがあります。

流行の最先端をいっているわけですが、

一向に効率はあがらず、疲労感が増強されているのはどうしたわけでしょう。

 

考えてみれば、

今から10年以上前、

かつて村瀬が東小学校で6年生を担任していたとき、

初めて腰をやらかしたのでした。

お風呂に入っていて、湯船から出ようとしたとき、

全身に電撃(でんげき)が駆(か)けめぐりました。

足を上げることが困難となり、また、座ることも困難となり、

湯船に立ち尽くす、という状況に陥(おちい)りました。

さらには、そのとき家に誰もおらず、

1時間以上同じ姿勢で立ち尽くすことになりました。

その後相方が帰宅し、うめき声を聞きつけて風呂場にやってきましたが、

類人猿(るいじんえん)のように軽く背中を曲げ、肩をすぼめて首を落とし、

すっぽんぽんで立ち尽くす男を見て、助ける前に腹を抱えて大爆笑したのでした。

その後、医師から「へるにあ」という診断をちょうだいしました。

同じ学年を組んでいた担任陣全員が「へるにあ」を患(わずら)っていたことから、

当時流行していた映画のタイトルをなぞり、

学年を「へるにあ国」と命名し、

「新しい国王の誕生だ! へるにあ国、ばんざーい!」

と、意味もなく騒いでいたことは懐(なつ)かしい思い出です。

 

しばらくの間、歩くこと、物を運ぶこと、黒板に字を書くこと、などなど、

学校生活の基本動作がどれも困難な状況でした。

それをサポートしてくれたのは、他でもない、

子どもたちです。

職員室に訪れ、必要な物を運び、階段を登るときにはサポートしてくれました。

「福祉実践教室で学んだことが生きた!」

と、喜んでくれる子どももいました。

廊下を移動するときにはキャスター付きのチェアに村瀬を乗せ、押してくれました。

気分は「三国志」に登場する偉人「諸葛亮公明」です(ご存じですか?)

「ゆけゆけー!」と調子をのっていたところ、

危うく階段から落とされそうになりました。

授業中、村瀬の代わりに板書をしてくれた子もいます。

「村瀬の数倍見やすくてきれい」

と、好評を得ました。

 

何もかつてのオレンジキッズだけではありません。

思いやりの精神は、現在の東小に通う子どもたちの中にも、

しっかりと根付いています。

大量の荷物を抱えてうろうろしていると、

「持ちましょうか?」と声を掛けてくれたり、

何も言わず、扉を開けてくれたりと、

さりげなくサポートしてくれる子どもが大勢います。

前にもぶつぶつしましたが、

担任が不在のときに、自分たちで助け合う学級も多く、

補助に入った先生を大いに支えてくれます。

 

先週、のどの調子がすこぶる悪く、声が出づらかったのですが、

授業中、村瀬がしゃべろうとするときに、

「静かにして」と声を掛けてくれるクラスばかりでした。

さらには、村瀬が指示した言葉が、

きっと全体に届いていないと判断したのでしょう、

3年生の少年が、「スピーカー」となって再度みんなに伝えてくれました。

まあ、その指示が、全然違うものだったことは、ご愛嬌(あいきょう)です。

 

学校で働いている私たち教員にとって、

疲労困憊(ひろうこんぱい)の心身に対して、

何よりの薬であり、栄養となるのは、

子どもたちのやさしさや、

子どもたちとの些細(ささい)なやりとりのような気がします。

もらったやさしさや、ほっこりするエピソードを宝物にして、

しんどいことはあるけれど、今日も教壇に立っている。

そんな先生が、村瀬以外にもきっと多くいることでしょう。

 

今日もちょっとした「宝物」と出会うために、

腰をたたきながら校舎を徘徊(はいかい)する村瀬なのです。

 

それでは、また。

二十歳の集い。

2025年1月14日 12時25分

こんにちは、村瀬です。

朝晩の冷え込みはさすがに厳しいものがありますが、

日中は穏やかな季候で、

校舎の中にいるより外で「日向(ひなた)ぼっこ」をしていたくなるような、

温かい陽射しが注いでいます。

3学期が始まってから、

今日でちょうど一週間です。

前週に体調を崩していた子どもたちの多くが復活し、

元気な顔を見せてくれました。

そんな久しぶりの登校を果たした子どもに、

来て早々「学力テスト」を行わせるという鬼の村瀬です。

(採点等のスケジュールがあるので、仕方ないのです・・・。)

 

バチが当たったのでしょうか、

村瀬、現在、声が出ません。

無理して発声していますが、

強烈なのどの痛みを伴い、音声もしゃがれまくっております。

先程、市役所の方からお電話をいただきましたが、

村瀬の発言に対して、

「はい?」

と、何度も問い直しされました。

それくらいのレベルでございます。

明日から外国語の授業が始まりますので、

緑茶でうがいをしたり(村瀬が信じている民間療法)、

のど飴をなめまくったりしながら、

ケアに努めている次第です。

 

さて、二日前の日曜日の話です。

夜も明けきらぬ暗闇の中、

村瀬は目を覚ましました。

何やら外が騒(さわ)がしい様子です。

気にはなりますが、

外に出るには寒すぎますし、

何だか幸せな夢を見ていたので、

再びその世界に戻ろうと布団に潜(もぐ)ります。

しかし、騒々(そうぞう)しさが収まる気配がありません。

まったくもう!

と、思い切ってベランダに出て、

様子をうかがいます。

そしてすぐに、その理由を突き止めました。

 

村瀬の隣家は美容室です。

駐車場にちらりと見える振り袖(そで)姿や袴(はかま)姿。

そうです。

成人式(二十歳の集い)のため、着付けを行っているのでした。

(村瀬が住む市では、日曜日に行われたようです。)

 

村瀬はすでに「不惑」(ふわく)をゆうに越えておりますので、

自分自身が成人式に参加したのは、遙(はる)か昔の出来事です。

それでも当日の記憶がいくらかあります。

一番覚えているのは、

久しぶりの友人たちとの再開に浮かれ、

意味もなく飛び跳(は)ねまくり、

誰かの肩にあごをぶつけ、

その拍子に下くちびるを思い切り噛(か)み、

血だらけになった、

ということでしょうか。

その際には、

「お前、まったく変わってないな」

と、多くの友人に呆れられました。

あれから、もう一度成人式を迎える以上の年月を過ごしてきましたが、

今でもきっと同じような過(あやま)ちを繰り返し、

同じような講評(こうひょう)を得るに違いありません。

人の本質は、なかなか変えられるものではありませんね。

 

村瀬は今まで、6年生の担任を5回務め、

子どもたちを卒業生として送り出してきました。

そのうち、3つの学年がすでに成人式を終えています。

最初に送り出した卒業生は、

現在、30歳を越えております。

時の流れの速さに驚き、恐ろしさを感じてしまいます。

彼らもきっと、

「老化」という魔の手がせまっていることに気付き始めていることでしょう。

2、3回目に送り出した卒業生は、

東小学校の子どもたちです。

2回目の卒業生の成人式には招待していただき、

久しぶりの再会を果たすことができました。

当時の担任陣と卒業アルバムを手に参加し、

当時の面影(おもかげ)のある子や、

大きく変貌(へんぼう)を遂(と)げた子などを見つけては、

大騒ぎして楽しませていただきました。

3回目の子どもたちは、

例のういるすの仕業により、大々的に式を行うことがかなわなかったようで、

実に残念でした。

 

小学校を卒業してからおよそ6年で成人(18歳)を、

8年で20歳を迎えます。

随分(ずいぶん)先のようにも感じるでしょうが、

本当にあっという間です。

あれほど頼りなかった子が、

実に堂々とした青年になっている。

そんな姿を見ると、やはり嬉しくなります。

それと同時に、

今一緒に過ごしている子どもたちのことを考え、

「あせらなくてもいいよ」

という言葉を、

子どもにも、保護者の方にも、

同僚にも、自分自身にも掛けたくなります。

身体の成長だけでなく、

心の成長も、

人それぞれです。

花が開くタイミングもそれぞれちがうものです。

そのことを忘れ、

ついつい、周りと比べてしまったり、

早く成長してほしいと、追い立ててしまったりしがちですね。

長い道のりです。

小学校の段階では、まだスタートを切ったばかりの位置にいます。

出遅れたところで、

いくらでも取り返しのつく場所にいるわけです。

のんびりと歩き、いろいろな風景を見て、

たくさん心を動かしていた方が、

その先を進んでいく上で、

プラスに働くこともきっとあるのだと感じます。

あせらなくてもいい。

それに、ただそこにいてくれる。

それだけで十分、

誰かを励(はげ)まし、支える存在になっている、

ということも併せて伝えたいと思います。

 

そんなことを、

駐車場で笑う振り袖あんど袴姿の青年たちと、

かつての卒業生の姿を重ね、

白い息を夜空に浮かべながら、長い時間思い返していたのでした。

 

あ、それで、風邪をひいてのどを痛めたのか?!

 

それでは、また。

冬休みの思ひ(い)出。

2025年1月7日 17時44分

ご無沙汰しておりました、村瀬です。

2025年がスタートしました。

オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」にも記しましたが、

思いの外、元気にはつらつとした子どもが多く、

朝から驚かされました。

「村瀬、明けましておめでとうございます。

 今年もよろしく」

と、6年生の少女から声を掛けられました。

喪中(もちゅう)であり、

新年の挨拶を控えていた村瀬でしたが、

あまりの爽(さわ)やかさに、

「おめでとうございます!

 こちらこそよろしくお願いします!」

と、爽やかにマナー違反を犯(おか)してしまったのでした。

とにもかくにも、

長期休暇明け、誰よりもうなだれていた村瀬は、

早朝から元気を分けてもらいました。

加えて元気をもらったのは、

これまた6年生の少女から、年賀状をいただいたことです。

そこには、ぶつぶつを愛読してくれているとの言葉が!

嬉しすぎて、

冬休み、だらだらになったせいで、

いつも以上に山積みにされている仕事を脇におき、

ぶつぶつし始めちゃった次第です。

 

さて、冬休みはいかがでしたでしょうか。

ご家族で素敵な思い出はできましたでしょうか。

穏やかに日々を過ごすことができたでしょうか。

「村瀬、海入ってきたよ」

「なんですと?!

 この時期に海水浴、

 さては、南国に旅立ったのであるな!」

「村瀬、雪遊びできたし、

 海鮮丼もおいしかったよ」

「なんですと?!

 雪に加えて海の幸を楽しむ、

 さては、北の大地に足を運んだのであるな!」

と、羨(うらや)ますぎる話もちらほら耳に飛び込んできました。

 

村瀬家の冬休みは、といいますと、

その対極にあるといっても過言ではありませんでした。

まず、開始早々、

相方がダウンしました。

流行の最先端を捉え、

インフルエンザとやらに感染してしまったのでした。

そして、息子まいける(通称)も、後を追うように。

ポンコツ家庭人で名高い、

父村瀬が出動せざるを得ない状況となりました。

何年か前、

相方とまいけるが、

例のういるすにやられてしまい、

父と娘まーがれっと(通称)による、

七転八倒の日々を過ごしましたが、

それが再びやってきたような日常でした。(A小学校過去ぶつぶつ参照)

比較的軽症であったのが幸いでしたが、

まーがれっとまでも引き込まれないように、

できる限りの隔離(かくり)政策がとられました。

 

「まーがれっとよ、

 外に出て運動じゃ!」

と、二人で寒さに震えながら、

まーがれっとの日誌の課題で出されていた、

「縄跳び」にトライした日がありました。

二重跳びに挑戦するまーがれっと。

失敗を繰り返していたので、

「はっはっはっ、まーがれっとよ、まだまだじゃな。

 どれ、父が手本を見せてやろうではないか。

見よ、この軽やかなハチドリのような舞いを!」

と、父村瀬は縄を回し、ぴょんぴょん跳び始めました。

「そいや!」

と、二重跳びを開始。

そして、2回目で引っかかり、

あげくには着地で足をぐねり。

「おのれ、謀(はか)ったな、縄跳びめ!」

と、叫ぶ父を白い目で見ていたまーがれっとなのでした。

 

何はともあれ、

父とまーがれっとは魔の手を振り切り、

どうにか健康なまま、年を越しました。

そんな正月のとある日、

「父上、

 このままでは日誌の思い出のぺーじに、

 何を書いたらよいかわかりませぬ」

と、まーがれっとがぼそりとこぼしました。

今年は喪中の身でありましたので、

初詣などにも行けません。

相方やポンコツ父に代わり、

家事を頑張っていたまーがれっとです。

少しは報(むく)いてあげたいと、

父はこんな提案をします。

「まーがれっとよ、

 そなたの愛好している、

 米国の漫画『落花生(らっかせい)』で活躍しておる、

 白と黒の犬の品々が売っている専門店があるじゃろう。

 どうじゃ、久しぶりに行きたいか?」

まーがれっとは珍しく喜び、

父は連れていったのでした。

店についてそうそう、

期待に輝いていたまーがれっとの目が、

みるみる曇(くも)っていきます。

「父上、一大事でございまする。

こちらをご覧(らん)ください・・・」

父は言われるがまま、店内のちらしに目を運びます。

「閉店のお知らせ」

と、記されているではありませんか!

その準備のためでしょう、

商品が多く片付けられ、

まーがれっとが見たかった商品のかけらもありませんでした。

お気に入りだった店舗がなくなることを知り、

まーがれっとは強く衝撃(しょうげき)を受け、

「これも父上のせいでございますわ!」

と、ひどい言葉を父に投げてきたのでした。

 

いかがですか、村瀬家の冬休みは。

なかなかのものでしょう。

何事もなく、穏やかな日々を過ごせたのなら、

十分幸せなことなんだと感じませんか。

 

ところで、年末年始、

病院に行ったり買い物に行ったりしたわけですが、

そこでつくづく感じたことがあります。

多くの人が華(はな)やいで過ごす日々の中で、

それを支えてくださっている人が大勢いる、ということです。

きっと、東小学校の保護者の皆さんの中にも、

世間のカレンダーに関係なく、

周りのために活躍していた方もいらっしゃることでしょう。

皆さんのおかげで、

冬休み、多くの笑顔が生まれたのだと確信します。

お疲れ様でございました。

それ以上に、ありがとうございました。

そんなご家庭で過ごしていたお子様たちよ、

どうぞ誇りに思ってくださいね。

 

そんなわけで、

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

余裕があれば、

このしょーもないぶつぶつも、

どうぞよろしくお願いいたします。

 

それでは、また。

2学期も、感謝。

2024年12月23日 14時30分

こんにちは、村瀬です。

今日も底冷えのする冬の季候となっております。

しかし、子どもたちの心はボカボカのご様子です。

そりゃそうですよね。

明日から冬休み。

今日で学校生活も一段落です。

 

まずもって、

東小学校の子どもたちが全員、

2学期を終えることができたことに、

心からほっとしております。

健康を害してしまった(現在進行形の子もいますが)り、

思うように事が運ばなかったりと、

順調とはいえないこともあったかとは思いますが、

全員が生きて年を越せる場所までこれたこと。

大げさではなく、

それは何より素晴らしいことだと感じます。

 

これは、ご家庭のサポートなくして、

ありえないことです。

陰(かげ)になり、日向(ひなた)になり、

日々、子どもたちを支え続けていただいたことに、

心から感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

また、地域の皆さんや市役所をはじめとする行政機関の皆さんにも、

今学期も力強く支えていただきました。

その支えがあったからこそ、

学校運営をどうにか進めることができました。

誠にありがとうございました。

 

ついでに、

日常生活に何の影響も与えない、

このどうでもいいページに足をお運びいただいた、あなた様にも、

感謝を伝えたいと思います。

「村瀬、誰もいないトイレに『おはよう』って叫んだんでしょ?」

「ん? なぜそのことを3年生のあなたが知ってるの?」

「だって、お母さんが言ってたもん」

「村瀬、水道管に穴開けたんだって?」

「ん? なぜそのことを1年生のあなたが知ってるの?」

「お母さんが教えてくれたもん」

なんてやりとりを、時折子どもたちと交わすことがあります。

その度に、

「この超慌ただしい日々の中で、立ち寄って下さっているんだなあ」

と、感涙(かんるい)しておりました。

また、時折、応援のお言葉までいただくこともありました。

その温かさにも、落涙(らくるい)しておりました。

その喜びを原動力に、どうにか今学期も、

圧倒的に低いハードル(週に一度ぶつぶつ)を達成することができました。

そこの希有(けう)なお客様。

おだやかに見守り続けてくださり、

感謝、感激でございました。

ありがとうございました。

 

さて、いよいよ冬休みです。

今年は「奇跡の9連休」とアナウンスされているように、

年末年始をゆっくりできる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

子どもも大人も、

この一年で蓄積(ちくせき)してしまった疲労が、

少しでも溶けて楽になるといいですね。

加えて、それぞれのご家庭で、

一つでも多く笑顔になる思い出が創られることを、

心より願っております。

 

というわけで、

今年はこれにて、口を閉じたいと思います。

皆さん、

めりーくりすます、そして、良いお年を。

 

それでは、また。

お宝探し、再び。

2024年12月19日 18時55分

こんにちは、村瀬です。

「夏の暑さに反比例してあいさつの声が小さくなる」

ということを以前ぶつぶつしました。

その折に、

「冬の寒さに反比例してあいさつの声が小さくなる」

という予想を立てましたが、

見立て通り、

マスクを越えられない声量であいさつする子どもが続出しました。

ところが今週に入り、

日を追う毎に、ボリュームが上がり、あいさつを返してくれる子どもが、

着実に増えてきました。

どういうわけか、

答えは実に明確です。

待ちに待っていた「冬休み」が近づいてきたからです。

2学期も残り2日。

体調を崩さずに、お休み入ってほしいものですね。

 

さて、少し前の話です。

東小学校には名所がいくつかありますが、

その内の一つ、

「あしがら山」にて事件が起きました。

遊んでいた子どもが、

山中(さんちゅう)で「クギ」を発見したのです。

幸い、誰かがけがをしたわけではなかったのですが、

危険物が見つかってしまった以上、

ほかっておくわけにはいきません。

あしがら山一体を封鎖し、

しばらくの間「登山禁止」という措置をとることになりました。

 

あしがら山は、

子どもたちの大人気スポットです。

大放課には、登頂、下山を繰り返す子どもが殺到(さっとう)します。

なんだかみんな、楽しそうです。

このまま、封鎖を続けてしまえば、

「山ぼーいアンドがーる」の笑顔が消えてしまいます。

 

昨年度、

「運動場に眠る金属片をさがす」

というミッションを実施したことがありました。

さながら「PKO(国連平和維持活動)」で見られる光景のように、

「金属探知機」を使用して運動場を探索したことがありました。

現在は信州に生活の拠点を移された、

K先生を隊長に祭り上げて実施しました。

(昨年の10月あたりのぶつぶつ参照)

 

考えてみたら、そのとき「あしがら山」も探索範囲だったはずです。

そして、もっとよく考えて見たら、

その場所は村瀬が担当したのでした。

誰も信じてくれないでしょうが、

適当に行ったわけではありません。

村瀬にしては丁寧に活動したつもりでした。

けれども、クギが見つかったという事実がある以上、

責任は村瀬にあります。

ごめんよ、子どもたち。

きみたちの笑顔を取り戻すため、

村瀬、踏ん張るよ。

 

ということで、再び市役所から金属探知機をお借りし、

いざ、捜索開始です。

すると、早速、

「ピピーッ、ピピーッ」

と、反応がありました。

用意したスコップで、ホリホリしていきます。

あしがら山の地盤は固く、なかなか掘り進められません。

時折金属探知機を掘った場所に当てて確認すると、

まだ、「ピピーッ」と反応します。

そして、最終的に発見されたのは、

「プルトップ」ただ1つ。

労力の割に合わない物が出土され、村瀬はげんなりです。

この広大な範囲をこのペースでやっていたら、

日が暮れてしまうのではないか(開始時刻、午後3時)。

もうすでに、冷え込みが強いぞ。

このままでは、山間部で夜を越すことになるのではないか。

最近はどうもこの周辺に獣(けもの)が現れるらしい。

命の危機がそこまでせまっている!

あしがら山の麓(ふもと)で、

金属探知機とスコップを持ちながら、

パニックになりかけた村瀬に、

不意に声が飛んできました。

「村瀬、何やってるんですか?」

振り返ると、にやにやしながら近づいてくる、

6年担任のT先生が確認できました。

心に日々ふんぞり返っている悪魔村瀬が、

「しめた!」と叫びました。

村「おお、これはこれはT先生、

 よいところに来られましたな」

T「その手にしている物は何ですか?」

村「ああ、これかい?

 これは金属探知機だよ。

 これでね、この山に潜む危険物を捜しているんだよ。

 それにしても、T先生、

 どこかヒーローの面影(おもかげ)があるね。

 ほら、横顔とかさ。

 この金属探知機も似合いそうだ。

 いや、待てよ。

どちらかというと、

 スコップの方が馴染(なじ)みそうだね。

 もってごらんよ。

 わあ、やっぱりだ。

 この学校で誰よりもスコップが似合うよ。

 いや、市内で一番じゃないかな」

T「え、そうですか?」

照れるT先生に悪魔村瀬が畳みかけます。

村「どうだろうT先生、いや、ヒーロー。

 私と一緒に、子どもたちの安全を守るため、

 あしがら山を攻略してみないかい?」

T「いいですよ。

でもぼく、金属探知機、

使ってみたいですね」

村「いやいや、これはね、

 実はとてもでんじゃらす(危険)なんだ。

 どうやら使い方を間違えると、

 体中に電流が流れる仕組みになっているらしい(大うそです)。

 みんなのヒーローを危険にさらすわけにはいかないよ。

 ここは、『血管年齢が60代後半』と診断され、

 途方にくれている私が、その役目を引き受けよう。

 きみは、私が発見した危険箇所を、

 その手にしている、

通称『勇者のスコップ』で掘り進めてくれたらいいんだ。

 ほら、この音を聞いてごらん。

 今、ピーピーいったろ?

 この下に危険物が眠っているんだ。

さあ頼んだよ、東小のヒーロー!」

 

T先生は、まんざらでもなさそうな顔で、

力強く掘り起こしてくれました。

悪魔村瀬は、

「ここだよ、ここで鳴ったよ」「あ、ここも鳴った」

と、T先生に教えるだけです。

幾つも堅い地盤を掘っているうちに疲労も溜まり、

手を痛そうにしているT先生。

それを見事にスルーする村瀬。

こうして最高のコンビが誕生し、

無事にあしがら山一帯の調査を終えたのでした。

 

そんなわけで、あしがら山の安全は無事に確保され、

入山禁止の措置は解除されたのでした。

そして翌日から、

登山、下山を楽しむ子どもたちの笑顔が戻ったのでした。

めでたし、めでたし。

(ちなみに出土した品々は、

 オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」に紹介されております。)

 

ところで、T先生が村瀬になんだか冷たいのは、

どういうわけでしょう?

 

それでは、また。

珍しい光景。

2024年12月12日 15時09分

こんにちは、村瀬です。

今日は保護者会3日目です。

本日もお忙しい中お時間をつくっていただきありがとうございます。

明日まで、どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、相変わらず、感染症の暴風が吹き荒れている東小です。

残念ながら、早退者が相次ぎ、

明日から閉鎖される学級も出てしまいました。

早退者も相次ぎ、その対応をはじめ、

なんだかんだとてんやわんやの職員室です。

 

今日は慌てふためいていた教頭先生が、

給食センターに連絡を取ろうとして、

なぜか職員室に「内線」連絡をかけ、

それを斜め前に座っている事務のTさんが応対する、

という珍しい光景が見られました。

かくいう村瀬も、

連絡すべき内容を校内の電子掲示板に書き込んだつもりが、

全小中学校の掲示板に記す、

という行動をとってしまいましたが。

しかしまあ、こちらのやらかしは、すぐに自分で気付き、

おそらく誰にも気付かれていなかったので、

このまま闇に葬(ほうむ)りたいと思います。

ちなみにこの失敗は、年に1、2度やっております。

 

さて、本校は現在、4学級が閉鎖しております。

ですので、職員室に人が複数いる時間が長くなっています。

これもまた、最近の東小学校では珍しい光景です。

職員室にぽつんと一人になり、

お手洗いに行くことも憚(はばか)られる、

という状況が頻繁(ひんぱん)に起こっております。

複数の電話が掛かってきたら、お手上げです。

もしも学校に電話されたときに、

昼中にも関わらず誰も出ないというときは、

そういう状況にあるんだなあとご理解いただければ幸いです。

 

ところで、

閉鎖中の学級担任が何をやっているのか。

別に、暇でぼーっとしているわけではありません。

各クラスの子どもたちの健康状態をチェックしたり、

閉鎖開けの授業内容を考えたり、

村瀬のように頬杖(ほおづえ)をつきながら、

ぽかーんと口を開けてサボっていることなく、

皆さん働きまくっております。

自分の学級のこと以外にも、

学年や学校全体のサポートも買って出てくれています。

「補欠を組む」(過去ぶつぶつ参照)担当の村瀬が、

「困った困った。この時間は人が足りぬなあ。

 どこかに人はおらぬかなあ」

と、わざとらしく声を上げると、

「私行けますけど」

「自分も大丈夫です」

と、駆け付けてくれます。

「え? いいんですか?」

と、内心ニヤニヤしながら代役を依頼している、

悪徳教務主任と化した、今週の村瀬です。

 

さて、現在は保護者会中です。

その準備で、多くの担任陣は下校に参加することができません。

そんな中、閉鎖中の学級担任S先生とF先生が、

電話での懇談に切り替わったご家庭が多くあったのか、

時間に余裕ができたということで、

下校の全体指揮の役目を引き受けてくれました。

本来は村瀬がやるべきことでしたが、

「え? いいんですか?」

と、内心ニヤニヤしながらお願いしました。

 

初日、S先生は教員が少ない中、子どもたちを上手に指導して、

スムーズに下校させました。

 

二日目、F先生も、子どもたちをほめながら、

速やかに静かにさせることに成功しました。

が、この後、一体どういう話の流れだったか記憶にないのですが、

マイクを通して、次のような言葉を残しました。

「先生は今27歳で、すっかりおじさんになりましたが・・・」

この音声は、運動場だけでなく、

校舎内にも響き渡っていました。

この言葉を聞いた瞬間、多くの先輩教員がピクッと反応した様子です。

F先生が職員室に戻ったとき、

先輩教員陣に取り囲まれ、

「あなたがおじさんだったら、私たちは何?」

「あなたの倍近く生きている、私たちは何?」

と、散々とっちめられた、とのことでした。

あいにくその場にいなかったので、

そんな珍しい光景を、ニヤニヤしながら見たかったなあと思う、

悪徳教務主任の村瀬です。

 

さあ、そろそろちゃんとした業務に戻らないと、

真面目に懇談している保護者の皆さんや担任陣にとっちめられそうなので、

口を閉じます。

まあ、その光景は珍しくありませんが。

 

それでは、また。