授業公開の思い出(少年編)。
2025年4月22日 16時54分こんにちは、村瀬です。
相変わらず天候の変動が激しいですね。
今日は風が強めに吹いています。
自然豊かな東小学校です。
花びらや葉、花粉などが風に乗って飛び交います。
そして、村瀬の車を大いに汚します。
二日前の日曜日、気合いを入れて洗車をしました。
もう、おしまいです。
さて、昨日は授業公開日として、
保護者のみなさんに大勢ご来校いただきました。
まずもって、御礼申し上げます。
ありがとうございました。
毎年伝えることですが、
本来なら自動車を使用して来校したい距離のご家庭も多くありますが、
駐車スペースの関係でどうしても境界を設けないとなりません。
その境界線付近の方々には心底申し訳なく思います。
昨日は陽射し強い中ではありましたが、
そのルールをしっかりと守っていただきました。
不満をぐっと飲み込み、
笑顔でさわやかに徒歩や自転車でご来校いただいた全ての保護者の方に、
心から感謝申し上げます。
ご理解、ご協力、誠にありがとうございます。
今年度も廊下に人があふれるほどの大盛況の授業公開でした。
昨日の東小オフィシャルぶろぐ「本日のオレンジキッズ」にも記しましたが、
その人の多さに、緊張する子どもたちや担任陣も多くおりました。
もちろん、もの怖(お)じせず、
積極的にバリバリ行動できる子も(担任も)います。
村瀬は、前者です。誰がなんと言おうと、前者です。
人前に立つと、心臓が口から飛び出しそうになり、
手足がブルブル震え、奥歯がガタガタなっております。
ちびっ子村瀬は今よりもっとひどい状態でした。
低学年の頃、授業参観(昔はこう呼んでいましたね)の折には、
先生の問い掛けに勢いよく手を上げて答える友達を尻目(しりめ)に、
村瀬は「貝」になっておりました。
「あんた、せっかく見に来たのに、
ただ座ってるだけじゃないか!
もっと、活躍しなさいよ!」
と、その都度(つど)母村瀬から叱責(しっせき)を受けたものです。
中学年くらいになると、少し慣れ始め、
手を上げ、回答する機会が生まれるようになりました。
しかしその答えの多くが見当外れで、
担任の先生や見守る保護者から失笑されることも度々でした。
「あんた、なんであんな間違いするのさ!
それならおとなしくしときなさいよ!」
と、それはそれで、母村瀬から叱責されたものです。
「大人は理不尽(りふじん)な生き物だ!」
少年村瀬の心が歪(ゆが)みはじめたのは、その頃かもしれません。
高学年となった、5年生の授業参観の話です。
用事ができ、母村瀬が参観できない、という状況が生(しょう)じました。
ザ・昭和の男、父村瀬は、はなから参観する気がなかったので、
誰も見に来ない参観日となり、
少年村瀬は「いやあ、残念だなあ」と言いながら、
心の中でガッツポーズをしていたのでした。
すっかり学校に慣れていた少年村瀬は、
授業参観であっても、
母村瀬がいないことも手伝って、のびのびと授業を受けます。
教科は家庭科でした。
どんなきっかけかは忘れましたが、
「野菜炒め」の話になりました。
その折に、
村瀬家の野菜炒めがいかに不味(まず)いのか、
全体に対して滔々(とうとう)と語り、
友達にも参観していた保護者の方にも、
大いにウケたのでした。
ご満悦(まんえつ)となった少年村瀬は、
教室を囲む笑顔の保護者を悠々(ゆうゆう)と見渡しました。
その時です。
その笑顔の列の奥から、
信じられないほど鋭い「メデューサ」のような視線を、
少年村瀬にぶつける存在を見つけてしまったのです!
そうです。
用事を早く切り上げた、母村瀬が来ていたのです!
もう、ホラーです。
村瀬はその後「石」となり、授業を過ごしたのでした。
帰宅後は、石を砕(くだ)くような、
大変厳しい昭和的指導を受けるとともに、
夕飯に大量の野菜炒めを提供されたのでした。
めでたし、めでたし。
例年、授業公開の折に、
教員村瀬の悪行についてぶつぶつする機会が多かったので、
今回は少年村瀬の過(あやま)ちについてぶつぶつした次第です。
幸せな子どもたちだよなあ、と、
メデューサとなった母を思い出しながらしみじみしていた、
壮年(そうねん)村瀬なのでした。
とにもかくにも、
たくさんの方にご来校いただきましたことに、
心より感謝の意を捧(ささ)げ、
口を閉じたいと思います。
本当にありがとうございました。
それでは、また。