30年振りに。
2025年6月17日 16時08分こんにちは、村瀬です。
先週は梅雨らしい気候。
今週は連日猛暑との予報。
体調管理が実に厳しいこの頃です。
村瀬は見事に失敗し、
お恥ずかしながら先週末、ダウンしてしまいました。
病院に足を運び、
鼻から細いものを突っ込まれる検査などしました。
とりあえず陰性という結果でホッとしたところ、
「気候が厳しいからしんどいね。
それよりも、疲労が相当たまってるんじゃない?
毎日お疲れ様」
と、お医者様から思いがけず優しい言葉を掛けられ、
村瀬の号泣が響いた診察室です。
歳のせいでしょうか、
なかなか回復できず、
休日は、ほぼ1畳(じょう)の空間で、
天井を見て過ごすはめになりました。
部屋も暗く、
「もやし」ならすくすく育つ空間で、
雨音を子守歌にして過ごす日々から、
急転するような炎天下。
深いため息をつきながら登校したもやしっ子村瀬です。
昨日のことです。
ちょっとした用事で、
強すぎる陽射しの中をフラフラと駐車場を歩いていると、
見知らぬご夫婦が門から校庭を覗(のぞ)いておられました。
これは、幻覚(げんかく)か、
いよいよ、ヤバいのか、
と思いながらも声を掛けると、
旦那様が30年ほど前の本校の卒業生だということで、
校庭を見ながら懐かしさにふけ、
思い出を奥様に紹介していたことが分かりました。
「遊歩園ってまだあるんですか?
子どもたちは遊んでいるんですか?」
と、尋ねられましたので、
「ええ、遊んでいますよ。
スズメバチやマムシのせいで閉園されることもありますが」
とお答えしました。
すると旦那様は、まだ遊歩園が存在するということを、大層喜ばれました。
あまりにも嬉しそうなものですから、
「よろしければご案内しましょうか?」
と提案しますと、ますます喜んでいただけました。
現地でも旦那様は、
「放課になったらいつもここに来て遊び回ってた。
あそこに防空壕(ぼうくうごう)があって、
ここらへんに池があってカエルがウジャウジャいたんだ。
スズメバチもめちゃくちゃ来たけど、
閉園されることはなかったな。
いやあ、毎日楽しかったな」
と、興奮気味に思い出話をしてくださいました。
ついつい気をよくした村瀬、
「父上、『市電』は覚えておられますか?」
と問うと、「もちろん!」との返答でしたので、
そちらにもお連れしました。
そこでも、当時の授業の思い出を話してくださり(主に、昭和的指導をいただいた話)、
盛り上がったのでした。
なんでも、ご主人は4年生の頃に転居してしたとのことですが、
三十年の時間が経過した後でも、
この東小学校で過ごした日々が、
よい思い出としてご主人の中に残っていることを強く感じ、
村瀬も大変嬉しくなりました。
何年経っても、自分をどこかで支えるプラスの存在であること。
そんな学校でありたいという願いは、
きっと村瀬だけでなく、どの教員ももっていることと思います。
歩みを進め、いつかどこかのタイミングで振り返ったとき、
「なんだかんだあったけど、
東小学校って、よかったよなあ」
と、一人でも多くの子どもたち(卒業生)に愛される学校を目指したい。
そのために、自分は何ができるだろう。
ご主人から、
元気と喜びと一緒に、
そんな宿題をもらいました。
うーん、うーん。
大和魂(やまとだましい)あふれる外国語活動を極めるか・・・。
くだらない話をぶつぶつし続けるか・・・。
全く妙案(みょうあん)が浮かばない、
炎天下で病み上がりの村瀬なのでした。
それでは、また。