日中健児のつぶやき(R5)

歌声の会を聴いて 雑感

2023年10月27日 10時00分

どの学級も,限られた練習時間の中で立派な合唱を仕上げたと思います。

特に,昨年度関わりをもった3年生の成長には,目を見張るものがありました。3年生の皆さん,草原先生,ありがとうございました。

ここでは,音楽の専門家の一人として,本校の生徒がつくり上げた合唱を鑑賞してあくまで個人的に感じたことを,とりとめもなく記したいと思います。

昨今,恥ずかしがって表現することを躊躇する中学生が多い中,本校の生徒は臆することなく生き生きと表現することができます。これは日進中のよき伝統であり,ぜひ今後も後輩たちが引き継いでいってほしいと思います。

ただ,今後より一層の成長を望むのであれば,客観的に自分たちの演奏を見つめる視点や力が重要になってくると思います。

今回の歌声の会でも,音楽的に優れた演奏は,繊細かつ丁寧にp(ピアノ)の音楽を表現するとともに,f(フォルテ)やff(フォルティシモ)になっても自分たちを見失わず,コントロールされた歌声で力強さを表現していました。しかし,fやffになると歌声が荒れてしまい,(歌っている本人たちは気持ちがよいのかもしれませんが)聴き手の心が置き去りにされてしまうような場面が見られる合唱もありました。

音楽(芸術)の目的は,あくまで聴き手(受け止める側)の心が動かされることです。演奏する側が快感に浸ってしまったり,感動してしまったりすると,かえって聴き手の心は離れてしまうものです。どのようにして聴き手の心を動かすために「感動を演出するか」という視点に立つと,より一層魅力的な合唱に繋がると思います。

また,「音楽を邪魔してしまうような体の動き」も気になりました。これは歌い手だけでなく指揮者にも言えることです。目をつぶって聴くわけではありませんから,当然聴き手は演奏者の体の動きを見ながら(見たくなくても)演奏を聴くことになります。本当の意味で音楽の流れを感じ取り,自然に湧き出てくるような動きであれば,音楽を引き立てることがあります。しかし,ただ単にテンポに合わせて前後・左右に体が動いたり,不必要なオーバーアクションになってしまったりすると,せっかくつくり上げた音楽を台無しにしてしまうときもあるように思います。(1年生の学年合唱のように,純粋に楽しさを伝えることが目的の場合は別です)

名画(優れた音楽)を飾る額縁には,その名画にふさわしい品位が必要です。過剰に装飾が施されていたり,額縁の主張が強かったりすると,名画の価値を下げてしまうことがあります。演奏中の体の動きには,必然性が求められると思います。

「中学生の合唱にそこまでの芸術性を求めるのか」と言われてしまえばそれまでです。しかし,本校の生徒の合唱は,それらが求められるほど力を入れてつくられていると思うし,特に3年生の受賞学級の仕上がりの差は,そういうレベルに達しています。

日進中のよき伝統を引き継ぎつつ,より一層魅力的な合唱がつくられていくことを,本校の職員の一人として願っています。

(教頭)