東の方でぶつぶつぶつ・・・

ちょっとした宝物。

2025年1月21日 11時47分

こんにちは、村瀬です。

今週は暖気が広がっているそうで、

三月上旬の気候が続くと聞きました。

丸まった背中が、少し伸びている気がします。

 

さて、3学期が始まって2週間ほどが経過しました。

冬休みの充電が少しずつ切れはじめ、

体調が思わしくない子どもも少し増えたかな、という感があります。

村瀬のバッテリーはすでに空(から)となっております。

いや、そもそも、ぶつぶつした通り、

充電できずにスタートを切ってしまったのかもしれません。

ここのところ、腰の状態も芳(かんば)しくなく、

時折、パソコンを棚の上に置き、

立ちながら仕事をすることもあります。

立ちながら仕事をすると効率があがる、ということで、

村瀬スタイルを推奨(すいしょう)したオフィスが紹介されるのを見たことがあります。

流行の最先端をいっているわけですが、

一向に効率はあがらず、疲労感が増強されているのはどうしたわけでしょう。

 

考えてみれば、

今から10年以上前、

かつて村瀬が東小学校で6年生を担任していたとき、

初めて腰をやらかしたのでした。

お風呂に入っていて、湯船から出ようとしたとき、

全身に電撃(でんげき)が駆(か)けめぐりました。

足を上げることが困難となり、また、座ることも困難となり、

湯船に立ち尽くす、という状況に陥(おちい)りました。

さらには、そのとき家に誰もおらず、

1時間以上同じ姿勢で立ち尽くすことになりました。

その後相方が帰宅し、うめき声を聞きつけて風呂場にやってきましたが、

類人猿(るいじんえん)のように軽く背中を曲げ、肩をすぼめて首を落とし、

すっぽんぽんで立ち尽くす男を見て、助ける前に腹を抱えて大爆笑したのでした。

その後、医師から「へるにあ」という診断をちょうだいしました。

同じ学年を組んでいた担任陣全員が「へるにあ」を患(わずら)っていたことから、

当時流行していた映画のタイトルをなぞり、

学年を「へるにあ国」と命名し、

「新しい国王の誕生だ! へるにあ国、ばんざーい!」

と、意味もなく騒いでいたことは懐(なつ)かしい思い出です。

 

しばらくの間、歩くこと、物を運ぶこと、黒板に字を書くこと、などなど、

学校生活の基本動作がどれも困難な状況でした。

それをサポートしてくれたのは、他でもない、

子どもたちです。

職員室に訪れ、必要な物を運び、階段を登るときにはサポートしてくれました。

「福祉実践教室で学んだことが生きた!」

と、喜んでくれる子どももいました。

廊下を移動するときにはキャスター付きのチェアに村瀬を乗せ、押してくれました。

気分は「三国志」に登場する偉人「諸葛亮公明」です(ご存じですか?)

「ゆけゆけー!」と調子をのっていたところ、

危うく階段から落とされそうになりました。

授業中、村瀬の代わりに板書をしてくれた子もいます。

「村瀬の数倍見やすくてきれい」

と、好評を得ました。

 

何もかつてのオレンジキッズだけではありません。

思いやりの精神は、現在の東小に通う子どもたちの中にも、

しっかりと根付いています。

大量の荷物を抱えてうろうろしていると、

「持ちましょうか?」と声を掛けてくれたり、

何も言わず、扉を開けてくれたりと、

さりげなくサポートしてくれる子どもが大勢います。

前にもぶつぶつしましたが、

担任が不在のときに、自分たちで助け合う学級も多く、

補助に入った先生を大いに支えてくれます。

 

先週、のどの調子がすこぶる悪く、声が出づらかったのですが、

授業中、村瀬がしゃべろうとするときに、

「静かにして」と声を掛けてくれるクラスばかりでした。

さらには、村瀬が指示した言葉が、

きっと全体に届いていないと判断したのでしょう、

3年生の少年が、「スピーカー」となって再度みんなに伝えてくれました。

まあ、その指示が、全然違うものだったことは、ご愛嬌(あいきょう)です。

 

学校で働いている私たち教員にとって、

疲労困憊(ひろうこんぱい)の心身に対して、

何よりの薬であり、栄養となるのは、

子どもたちのやさしさや、

子どもたちとの些細(ささい)なやりとりのような気がします。

もらったやさしさや、ほっこりするエピソードを宝物にして、

しんどいことはあるけれど、今日も教壇に立っている。

そんな先生が、村瀬以外にもきっと多くいることでしょう。

 

今日もちょっとした「宝物」と出会うために、

子どもたちと教室で過ごす先生たちと、

腰をたたきながら校舎を徘徊(はいかい)する村瀬なのです。

 

それでは、また。