東の方でぶつぶつぶつ・・・

まあ、お茶でも。

2025年2月18日 16時54分

こんにちは、村瀬です。

今週は再び強烈な寒波が訪れているとのことで、

気温が低い一日となっております。

それでも、陽射しがあったおかげで、どうにか穏やかに過ごせました。

 

気がつけば、2月も半ばを過ぎ、

卒業式や修了式がもうすぐのところまできております。

「気がつけば」

が大げさな表現ではなく、

私は一体、何をして過ごしていたのだろう、

と感じることが毎日のようにある、村瀬です。

先日、給湯室に置いてあるはずのマイコップが、

更衣室のロッカーの中に置いてありました。

私は一体、何をして過ごしていたのでしょう。

これが悪質な嫌がらせでないことを願いつつ、今日を迎えております。

また違う日、

机に「ここを直す」という付箋が貼ってありました。

私は一体、どこを直そうとしていたのでしょう。

結局分からないまま、今日を迎えております。

 

先週の金曜日のことです。

村瀬はいつも通り、ばたばたしておりました。

早歩きで廊下を行ったり来たりしていると、

何度も同じ子どもたちとすれ違い、

「村瀬、さっきも通ったよね」

「あ、これはこれは、またお会いしましたね」

「村瀬、何してるの? 忙(いそ)がしそうにして」

「お、これはこれは、その言い方ですと、

 まるで忙しいふりをしているかのように捉(とら)えられていますね。

 実際、忙しいのですよ」

「それは村瀬のせいなんでしょ?」

「は、これはこれは、見事に見抜かれておりますね。

 そうです、村瀬のキャパシティーが乏(とぼ)しいために、

 このような事態(じたい)になっておるのです。

 ええ、ええ、全く、その通りでございます」

「それで、キャパシティーって何?」

「キャパシティーというのはですね・・・」

なんて交流が生まれました。

そんな中で、

右往左往している村瀬が通り掛かったとき、

一人の高学年(たぶん)ボーイが、

「まあまあ、そんなに慌(あわ)てなさんな」

と言葉をこぼしました。

その言葉が耳に入ったとき、

まるで警策(きょうさく)で肩を打ち付けられたかのように(座禅を組んでいる修行僧がばしっとやられる光景を思い浮かべてください)、

村瀬は「はっ」と目が覚めた気分になったのでした。

 

今から10年以上前、

村瀬が担任として東小学校に勤めていた頃の話です。

学級経営やら部活動やら運動会やらなんやかんや、

様々な活動に翻弄(ほんろう)され、今と同じようにばたばた活動しておりました。

これまた今と同じように処理能力や指導力が乏しく、

うまくいかないことばかり。

それに焦(あせ)り、余計に悪循環(あくじゅんかん)を招き、

ばたばたの日々に拍車をかけているような状況でした。

 

そんなとき、現在日進市で教育長を務めておられる、

当時の東小の校長、I様から呼び出されたのでした。

ああ、こりゃ、ど叱(しか)られるかなあ。

あのことか。いや、このことか。

思い当たる節(ふし)が多すぎて、

ちびりそうになりながら、校長室へ向かう村瀬。

「失礼しまーす」

ノックして入ると、

I校長はにやにやしてソファーに座っております。

村瀬が座ると、I校長は村瀬に一言こう告げました。

「きっさこ」

村瀬は謎の言葉に戸惑います。

村「きっさこ?」

I「そう、きっさこ」

どうやら発音は合っているらしい。

村瀬は頭の中で謎解きに挑戦します。

「きっさこ」って何だ?

「きっさ」と言えば、「喫茶」のことか?

「『喫茶』こ」?

「こ」はなんだ? 何かを略(りゃく)しているのか?

は! そうか!

「こ」は「行こ」を省略しているのだ!

つまり、「きっさこ」とは、

「喫茶店に行こう」ということだ!

村「校長先生、お誘いいただき、ありがとうございます。

 しかしながら、まだ勤務時間中でございます。

 あと1時間程で退勤可能時間となりますので、

 もう少々お待ちください。

 その後、ぜひ、喫茶店に行きましょう!」

村瀬の回答に対してI先生は、

I「おたんちん、そういうことじゃない」

と返し、簡単に説明してくれました。

「きっさこ」とは『喫茶去』と書く、

『禅語(ぜんご)』の言葉だということです。

意味としては、

現在では「お茶でも飲んでいきなさい」

という意味合いで使われる場合が多いそうです。

意外と村瀬の予想は的外れではなく、驚きました。

(かつては「お茶を飲んで目を覚ませ」という、

 相手の怠惰を叱責する言葉だったみたいです。)

「禅」の世界では、この言葉からより深い意味を見出すようですが、

I校長は簡単に説明してくれた後、

村瀬にこう伝えてくれました。

I「まあ、一息つけ。

 慌(あわ)てると、うまくいくこともいかなくなる。

 そんなに焦らなくても、なんとかなるから」

村瀬の日常を見てくださっていたのでしょう。

たった漢字三文字の一言で、

力(りき)みに力んでいた村瀬の心身を、

見事に緩(ゆる)めてくださったのでした。

 

それ以来、目まぐるしい日常に翻弄されそうになる度、

I教育長から教わった「喫茶去」という言葉を思い出し、

立ち止まるように心掛けています。

しかし、今回は、

その言葉を思い起こすことさえ忘れて駆け回っていました。

それを、高学年ボーイが思い出させてくれたのです。

「確かにきみの言う通りだ。

焦っていたら、ろくなことはないね。

 また、思い出すことができたよ。

 きっときみは、やがて教育長になることだろう!

 ありがとう、未来の教育長!」

そう叫んで振り返ると、少年はおりませんでした。

ひょっとしたら、I教育長の幻(まぼろし)を見たのかもしれません。

 

さて、ばたばたした日々を過ごしているのは、

なにも村瀬だけではないのかと存じます。

なんだか世の中自体が、

大変忙(せわ)しなく、慌(あわ)ただしい流れに感じます。

その流れの中に、きっと子どもたちもいることでしょう。

「忙しい」「慌ただしい」という漢字の組み立てはそれぞれ、

「心を亡くす」「心が荒れる」からきているといわれます。

そんな状態では、確かにうまくいくこともいかないでしょう。

お茶でも飲んで一息つく。

まあ、なんとかなるでしょ。

そんな風に考えながら、

誰もがもう少しゆとりを大切にできたら、

学校は、いや、世界はもっと、

過ごしやすい環境になる気がしてなりません。

 

なんて、一息つくためにぶつぶつしていたら、

今年度最長になってしまいました。

ごめんなさい。

でもまあ、ここまで付き合ってくださったあなた様も、

村瀬と一緒に、気が抜けましたね。

よかった、よかった。

しかし気がつけば、書類の山ができあがっております。

ちょっと気を、抜きすぎたかも。

 

それでは、また。