手。
2023年6月22日 17時16分こんにちは、村瀬です。
今日は涼しい気候ですね。
朝方強く振り付けていた雨も、
今はあがっており、過ごしやすくなっています。
6月も半ばを過ぎました。
子どもたちが待ちに待ちに待ちに待っている、
一方で、
保護者のみなさんの顔色が曇(くも)る、
夏休みまで一月を切っております。
ぼんやり見えてきた、というところでしょうか。
もう少しはっきりと見えてきたら、
子どもたちは元気を回復させるに違いありません。
「回復させる」と書いたのは、
現在、ちょっとお疲れ気味の子どもが多いかな、
と感じる、ということです。
まあ、そりゃあそうですよね。
大人だってへとへとになる時期です。
手を抜いていると噂されている、あの村瀬でさえ、
どうにか呼吸して過ごしている状態です。
見回せば、職員室には、
声がカスカスの先生、
腰を痛めている先生、
頭痛に苦しむ先生、
目がやられている先生などなど、
様々な症状を訴える方が多くおり、
ここは総合病院か、
というレベルの状況です。
村瀬とは違い、これらの先生は、
子どもたちのために、
日々奮闘している結果なのだと思います。
それでも歯を食いしばり、
子どもたちの前に立ち続ける姿に、
手前みそながら、拍手を送りたい気分です。
先生たちばかりではありません。
子どもたちだって同じです。
毎日、自分がやりたいことだけをやれる、
なんて場所ではありません。
自分の成長のために、
苦しいことも踏ん張らないといけない時間もあります。
身体だって大人より小さいのです。
そりゃあ、疲れますよね。
とぼとぼとぼとぼ歩く子どもに、
心ではエールを送っているのですが、
「へいへい、元気だせよ!」
とは、気軽に声を掛けられず、
「よく来たねえ」
と、労(ねぎら)いの言葉をかけているこの頃です。
そんな中、
素敵な光景も目に映ります。
5、6年生の子どもたちが、
下を向いている低学年の子どもたちに、優しく声を掛けながら、
教室に連れていってくれる姿をよく目にします。
兄様や姉様が弟や妹の手を引いて、
靴箱まで付き添(そ)う姿もよく見ます。
我が家の兄まいける(通称)と妹まーがれっと(通称)が、
手を引き合って登下校する、
なんて、夢のような光景でした(今年兄は中学に進学しました)。
兄「まーがれっとよ、
学校ではくれぐれも声をかけるでないでござるぞ」
妹「望むところですわ。
兄上も決してワタクシのそばに寄ることのないように。
ついでに父上も」
父「なんですと!」
というような会話をしている兄妹(と被害者)です。
だからこそ、でしょうか、
寄る年波のせい、でしょうか、
そんな姿を見ていると、
心がじーんとして、涙がこぼれ落ちそうになるのです。
疲れがたまってしまったら、
ゆっくり休んでいいのです。
大人も子どもも、
一息つく時間はとても大切です。
それに、
差し出されている優しさに、
頼ってしまえばいいとも思います。
東小学校には、
校内にも学区にも、
思いやりあふれる「手」が、
たくさん差し出されているように感じます。
元気がでないときは、
その手に支えてもらったり、
その手に引っ張ってもらったりしながら、
前に進めばいいのです。
いつか元気が回復したら、
今度は自分が「手」を差し出す。
そうできたら、素敵なことですね。
「心配しないで」
「大丈夫だよ」
「なんとかなるよ」
手をつなぎ、一年生を教室まで連れて行きながら、
声を掛けている高学年の子どもたち。
その優しい言葉を、
勝手に一緒に受け止めて、
元気を分けてもらっている、村瀬なのです。
それでは、また。