戦後は遠くになりにけり
2024年11月26日 17時03分先日、6年生の戦争体験を聞く授業で、日進市在住の92歳の方をお招きして、戦争中の体験談を聞くことができました。
主に、尋常小学校(→国民学校)や国民学校高等科の頃の話をしてくださいました。普段の履物は草履、学校では、裸足、校舎内は、板張りだったことなど、現代の学校生活からは全く想像できない話の連続でした。
92歳の方でさえ、終戦当時は、13歳。戦時中の記憶があっても、戦地に赴いた世代ではありません。戦後はずいぶん遠くになりました。
一方、私の両親は、ともに79歳。3月、4月が誕生日なので、かろうじて戦時中生まれ世代ではありますが、当然そのころの記憶は無し。
ただ、3月生まれの母が、当時暮らしていたのが、福岡県北九州市。8月9日に長崎に落とされた原子爆弾は、当初、北九州市に落とされるものでした。もし予定通りだったとしたら、今の私は存在していなかったのかもとゾッとします。
10年前、父の25歳離れた長兄の伯父に会う機会があり、戦地に赴いた話を少し伺うことができました。90歳を超えていて、戦地の風景は話してくれたものの、実際の戦闘については話してもらえませんでした。戦争が終わって、故郷に戻ったら、生まれたばかりの父がいたそうです。話を伺ってからしばらくして、伯父が亡くなったことを聞きました。
また、25年ほど前に勤めていた学校に、米づくりや炭焼きなどを教えてくれる地元のおじいさんがいました。その方からつねづね戦争中、中国で戦っていた話を聞かされました。さらには、戦争が終わり、命からがら日本に帰ってきたこと、その途中で中国の兵士を殺したこと。
日本では、戦争は遠い昔で、遠い場所のことと思ってしまいます。しかし、地球上では、いまだ戦火が絶えない地域もあるわけで、戦争体験者から聞いた話を次の世代に伝えていくことが、わたしたちに課せられた課題なんだと思います。