先生たちがブツブツブツ…

地区の校長先生たちにたまちゃんが

2024年3月1日 19時30分

 教頭の黒木です。久しぶりに書きます。

 少し前にこの地区の校長先生が集まる会がありました。

 その会の中で、日本講演新聞中部支局長の山本孝弘さんの講演があったそうで、日本講演新聞のサンプル紙が数号分配られました。

 そのサンプル紙の中に、たまちゃんこと、小玉宏くんの連載コーナーが掲載されたものも入っていました。この地区の校長先生方に、わたしの同級生が白日の下に晒されてしまいました。なんとも不思議なものです。

 日本講演新聞は、宮崎県宮崎市に本社があり、唯一の支局、中部支局が愛知県豊橋市にあります。愛知県生まれ、宮崎県育ち、本籍地宮崎県、現在愛知県在住、まるでわたしのような新聞社です。記事の内容もわたしたちに勇気と感動を与えてくれるものばかりです。

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「よいお年を」、とは

2023年12月28日 09時12分

 令和5年もあとわずかとなりました。

 年末のあいさつとして、「よいお年を」と言いますが、この意味をご存じですか。

 「よいお年をお迎えください」を短くしたもの、ですが、「よい年を迎える」とは。

 一説には、よい年(来年)を迎えるために、年内にやるべきこと(借りたお金を返す、大掃除など)を済ませましょう、だとか。そして、大晦日はすでに新年を迎える準備ができている(はずな)ので、大晦日に「よいお年を」は使えないそうです。

 では、「よいお年」とは。

 日本は、古来よりいろいろなものやことに神様が宿ると考えてきました。新しい年、元旦にやってくるのが「年神様」という神様。新年を迎えるにあたって、玄関に門松を立てたり、しめ縄を飾ったりするのは、年神様への目印だそうです。また、部屋の中の鏡餅は、年神様に滞在していただく場所だそうです。

 というわけで、「よいお年を」とは、「新年を迎える準備(借りたお金を返すとか、大掃除を済ますとか)はできていますか、年神様を迎える準備はできていますか」といった意味になります。

 保護者、地域に皆様には、令和5年も本校の教育活動にご理解・ご協力くださいまして、大変ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

岩崎城の戦い

2023年12月19日 17時24分

 NHK大河ドラマ「どうする家康」終わりましたね。

 物語の中盤、小牧・長久手の戦いの場面がありました。日進市と言えば、「岩崎城の戦い」。小牧・長久手の戦いの勝敗を左右した大きな出来事でしたが、大河ドラマでは、一切触れられませんでした。

 岩崎城の戦いとは、羽柴(豊臣)軍と織田・徳川軍の戦いの膠着状態を打破しようと、羽柴軍の池田恒興が岡崎に進軍するところ(三河中入り)を、岩崎城を守っていた丹羽氏重が攻撃を加えたものです。

 池田の軍勢7000人に対して、岩崎城の兵は239人。圧倒的不利な状況で、黙って通過させることもできたでしょうが、若干16歳の氏重は、「見過ごすは末代までの恥」と討って出ました。氏重をはじめ岩崎城の兵たちは果敢に戦いました。しかし、多勢に無勢、全滅してしまいました。

 ただこの戦いによって足止めされた羽柴軍は、後方から氏重の兄、氏次に先導された織田・徳川軍の追撃を受け、池田恒興、森長可など名だたる武将を失い、敗走することになりました。結果的に、岩崎城の戦いが、小牧・長久手の戦いでの織田・徳川軍の勝利に貢献したとされています。

 きっと、目の前を池田の大軍勢が通過する様子を目にした、氏重は、「どうする」と葛藤したことでしょう。命を賭した結果が、織田・徳川軍の勝利につながり、今の世につながっています。

 岩崎城歴史記念館の入り口で、氏重の騎馬像が出迎えてくれます。

小玉宏くんに会いに

2023年9月21日 15時00分

 教頭の黒木です。

 この夏、わたしの本籍地であり、小中学校時代を過ごした宮崎県へ行ってきました。ご先祖様のお墓まいりをしたり、J3テゲバジャーロ宮崎のサッカーの試合を見たりしました。

 その帰りに、大分県国東市で農業を営む、小学校時代の同級生、小玉宏くんに会ってきました。

 彼は、宮崎県の中学校の先生や県教委の指導主事を歴任していましたが、10数年前に始めた筆文字をきっかけに、全国で講演活動を行うようになり、10年前に教職を辞することに。その後、大分県国東市に移住し、現在は、無農薬・無肥料の自然農法の農業に取り組みつつ、農村民泊「たまちゃんファーム」の経営、全国での講演活動やyoutube配信を行っています。

 住まいは、築150年の古民家をセルフリノベーションしたそうで、外観と内観のギャップに驚きます。庭に小屋を建てたり、ピザ窯を作ったりするなど、教員とは全く違う生活を楽しんでいるようでした。家の目の前には、自分の田んぼが広がっていて、そろそろ稲刈りの時期でしょうか。

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あなたにもきっと、応援してくれる人がいるはず

2023年7月24日 12時10分

教頭の黒木です。

「何のために生きているのだろう」と思い悩んでいる人がたくさんいます。その答えは簡単。あなたを応援してくれている人のために、生きていけばいいのです。

かつての勤務校の卒業生に、元Jリーガーがいます。現在、東海社会人サッカーリーグ1部(J1から数えて5部リーグに相当)の「wyvern(ワイヴァン)」に所属している、石井綾(りょう)選手です。直接のかかわりはありませんでしたが、勤務校の出身で、グランパスの下部組織所属ということで、彼が中学生の頃から応援しています。

石井選手は、グランパスの下部組織から中京大学に進み、2016年、J2水戸ホーリーホックに加入し、晴れてJリーガーとなりました。ただ、ゴールキーパーという、競争の激しいポジション故、出場機会に恵まれず、また、けがもあって、毎年のようにJ2、J3チームを渡り歩いていました。

そして、昨年、三浦知良選手の加入で話題になった、JFL(4部リーグ相当)の「鈴鹿ポイントゲッターズ」に移籍しました。愛知県から近く、しかもカズと同じチームということで、応援しに行く気満々でした。ところが、リーグ開幕戦で、大けがを負ってしまいます。結局、その後は試合に出ることもなく、シーズンが終わり、契約満了。

今年の去就が気になっていたところ、地元愛知県刈谷市、知立市を本拠地とする「wyvern」に移籍しました。このチームは、Jリーグ入りを目指していますが、「プロ」チームではありません。Jリーグ経験のある選手もいますが、石井選手を含め、選手たちは何かしらの仕事をしながら、サッカー選手をしています。

6月になってようやく試合に出られるところまで回復したということで、石井選手を応援しに行きました。生で観戦するのは、高校生以来で、随分、たくましくなっていました。試合後驚いたことがありました。Jリーグチームであれば、選手そろってバスで移動するのですが、彼らは、現地集合現地解散。各々マイカーで帰っていきました。

先日、再び石井選手を応援し、試合を見てきました。豊田スタジアムの隣の芝生広場が試合会場でした。応援スタンドがあるわけでもなく、テレビで目にする日本代表やJリーグの試合のような大勢のサポーターがいるわけでもなく、我ながら物好きだなあと思いながら、試合を見ていました。

試合後、ある人を発見。昔からグランパスの下部組織の選手たちをいつも熱く応援しているおじさんでした。そのおじさんも石井選手を応援しに来たとのこと。同じことをしているわたしが言うのも何ですが、うれしくなりました。

世間的には、注目度が低かろうが、応援している人がどこかにいます。みなさんのことも家族や親せき、友達、もしかしたらどこの誰だか知らない人が何かしら気にかけ、応援しているはずです。そういう人がいることを胸に力を尽くせるといいですね。

愛知用水の恵み

2023年7月6日 13時30分

 昨日、愛知用水の源流の地としてのご縁で、長野県木祖村立木祖小学校との交流会がありました。

 愛知用水は、木曽川の水を岐阜県八百津町で取り込んで、尾張丘陵部から知多半島に至る全長約112㎞の用水です。五色園と相野山小の間を悠々と流れる様子を見るにつけ、癒されるものです。それ以上に、この地域で水に不自由することなく生活ができているのは、愛知用水があってこそです。

 愛知用水が通っている地域の地形図を見るとよく分かるのですが、相野山小の周辺も含めて、大小数多くのため池が点在しています。大きな河川がない地域でいかにして水を確保するか、先人たちの苦労の表れと言えます。

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 特に知多半島の水不足は深刻だったようで、このような状況を何とかしたいと立ち上がったのが、久野庄太郎と濱島辰雄でした。昭和23年、2人が個人的に始めた活動が、地域を動かし、やがて国を動かし、昭和32年、国家事業として愛知用水の工事が始まりました。

 5年の歳月をかけて、水源用のダムを含め、長大な用水が完成しました。その結果、尾張丘陵部から知多半島、さらには、日間賀島、篠島、佐久島にまで木曽川の水の恩恵を受けられるようになりました。

 しかし、そこには、56名の殉職者があったことを忘れてはいけません。このことに心を痛めた久野庄太郎は、濱島辰雄とともに愛知用水完成後、献体活動に力を注ぎました。

 4年生の社会科で、水道の水がどこから来るか、先人たちの偉業について学ぶ学習で愛知用水を取り上げています。

河合中のホタル

2023年6月16日 18時00分

  今年も「折戸川にホタルを飛ばそう会」の方々にご来校いただき、ホタルについて学ぶ機会がありました。

 教頭の黒木ですが、わたしの初任の地は、岡崎市立秦梨小学校でした。岡崎市とはいえ、新東名高速道路に「秦梨トンネル」の辺りの山の中の学校です。その校区の中学校である、河合中学校は、ホタルの幼虫を育てて、川に放流する活動を長年にわたって続けていることで知られています。春には、小学校の児童も招かれて、ホタルの幼虫を放流していて、わたしも何度か参加しました。

 河合中が、ホタルの保存活動を始めたのは、昭和41年。その年に赴任された古田忠久先生によるものです。以来、今年に至るまで、60年近くにわたって連綿と活動が受け継がれています。わたしが赴任した秦梨小の当時の校長先生、竹内昭次先生もホタルの保存活動に熱心に取り組まれた方の一人でした。

 「河合中 ホタル」で検索すると、現在の活動の様子見ることができます。

 日進市でも、同じように熱心にホタルを守る活動する人たちがいて、とてもうれしく思っています。さらに、熱心に話を聞き、質問をする子どもたちの姿もうれしくなりました。

 すでに、ホタルの季節になっています。どこかでホタルの乱舞を見られてはいかがですか。

できない理由

2023年6月12日 18時00分

 教頭の黒木です。

 何事も心のもちようなんだなと感じることがあります。

 先日、4年生の毛筆の授業の中で、1枚目を書き終わった後に、

 「わたしは天才」「上手に書ける」

 と念じながら書くように、話しました。

 すると、子どもたちの文字が劇的に変わりました。

 学習内容を分かりやすく教えることはもちろん、

子どもたちのやる気にさせる心を育てることもわたしたち教員の務めだなと思います。

 今日も小玉宏くんの文章を紹介します。

【できない理由】

 できるかできないかなんて、 そんなこと、全部できるに決まっている。

 だから、どうすればできるのかを、 考えればいい。

 できない理由なんか、 本当はどこにもない。

 あなたが勝手に創り出して 悩んでいるだけだから。

笑顔の素敵な人になる

2023年6月2日 16時50分

教頭の黒木です。

いつも「笑顔」でいることを意識していますが、実際はどうなのでしょうか。

小玉宏くん曰く、「笑顔は、練習が必要」だそうです。

鏡の前で、「俺って最高!」「わたしって素敵!」と言いながらやるとなおいいとのこと。

普段笑顔ではない人が本気で笑顔の練習をすると、口角のあたりが筋肉痛になるそうです。

みなさんは、いかがですか。

子どもたちとは、できるだけ笑顔で接したいなと思っています。

【笑顔の素敵な人になる】

笑顔の素敵な人に出会うと、

人はそれだけで幸せを感じます。

ボランティアをしなくちゃとか、 社会に貢献しなくちゃとか、

そんなことを考える前に、 まずはあなたが 笑顔で過ごすこと。

そしてあなたの目の前の人を 笑顔にすること。

それが

イチバンのボランティアであり、

社会貢献なんですから

喜ばれる存在になる

2023年5月31日 10時00分

 教頭の黒木です。

 今日も小学校時代の同級生である、小玉宏くんが書いたお話を紹介します。わたし自身も目の前の子どもたちと接するときに、心がけています。

 「小玉宏 たまちゃん」と検索すると、動画やいろいろな人が取り上げたサイトが見つかります。数年前に、日進中学校のホームページで、小玉宏くんの話を取り上げてくれたことがありました。

【喜ばれる存在になる】

人が幸せになるのを阻む最大の要因は、劣等感です。

劣等感は、生まれつきのものではないんですから、 自分のせいではありません。

小さい頃から劣等感を植え付けられて、刷り込まれてきたのです。

その劣等感があなたをいつまでも苦しめます。

人が 劣等感を持ち始めるのは いつなのか?

生まれて 這い這いしている頃、 親やまわりの人は 這い這いするだけで 大喜びでした。

だから、赤ちゃんは、 ものすごいスピードで成長します。

人がいちばん成長するときは、 人から喜ばれているときだからです。

ところが、言葉を理解できるようになりだす頃、 親から命令され始めます。

子どもはいちばん信頼する大好きな親の言うことですから、 一生懸命やろうとします。

だけど、一回言われただけで、できるはずがないですよね。 失敗は当たり前です。

この中で一輪車に乗れる方、 手を挙げてください。 ほとんどいないですね。

でも、練習すれば、 おそらく全員が乗れるんです。

最初からは乗れないだけ。 物事とはそういうものなんです。

なのに、親は 「自分の言う通りできない」 から怒る。

そうやって劣等感を植え付けて いるのに気づかない。

それどころか、それを愛だと勘違いしているんです。

人間というのは、ほめられたくて生きています。

ほめることは、自己存在感をストレートに与えることです。 ほめることが「愛」なのです。

欠点を言われながら成長することはできません。

ほめられると、能力以上の力を発揮します。

そしてそれが、成長の原動力となるのです。

親や教師の役割は、目の前にいる子どもに、

「大丈夫。あなたなら必ずできるよ。 たとえ今はできなくたって、失敗は学びなんだから、 落ち込む必要なんてまったくないんだよ。 しかもね、失敗が多いほど、人に優しくなれる。そんな人に成長できるって、とっても素敵だよね」

って応援し続けることなんです。

「成功するか失敗するか」が重要なのではなく、

「やるかやらないか」こそが最も重要なんです。

人は、この世に修行をするために生まれて来たわけではありません。

人生は辛く、悲しいことを乗り越える修行だと思った方が 気が楽になるなら、その考え方を選んでもいいでしょう。

しかし、 私たちが生まれて来たのは、 楽しむためです。

人生を楽しむという、 その最高峰にあるものが、 自分の存在が 喜ばれるということ。

人間の根源的な生き方は、 喜ばれる存在になることです

いのちをいただく

2023年5月29日 12時00分

 教頭の黒木です。

 わたしの小学校時代の同級生、小玉宏くんのお話です。

 もともと宮崎県の中学校の理科の先生で、宮崎県教育委員会の指導主事も務めていました。ところが10年前、突然退職し、現在は、大分県で農業に従事するかたわら、ユーチューバー活動をしたり、全国各地で公演活動をしたりしています。

 彼が、2012年にfacebookにアップした【いのちをいただく】を紹介します。この文章は、各地で反響を呼び、今現在、6万3千をこえる「いいね」がついています。わたし自身、道徳の授業や授業参観などでこれを参考にした授業をしたことがあります。かなりの長文ではありますが、ご一読いただけたら幸いです。

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【いのちをいただく】

「いただきます」って、

日本ならではの言葉なんだそうです。

だから、この言葉を知らない外国の人は、

「いただきますって、何ですか?」「それは、神に対する祈りですか?」

と聞いてきます。

もしもですよ、みなさんが子どもたちに、

「なんで食べる前に『いただきます』って言わなきゃいけないの?」

って聞かれたとしたら、どう答えますか?

たぶんですね、みなさんは、

「それはね、命をいただく動植物、食料を生産してくれた人、そして調理してくれた人に感謝するためなんだよ」

って答えるんじゃないかな、と思うんですけど、子どもたちにその話をして、

はたしてどれくらいの子どもたちが心から納得するでしょうか?

よく考えてみるとですよ、子どもたちはおそらく、似たようなことを何回も聞いているはずなんです。

でも、残念ながら、それが多くの子どもたちの心に響いていないのが現状ではないでしょうか?

それどころか、給食指導の時間にですよ、

「ちゃんといただきますを言わんね!」

「ごちそうさまは?」

「はい、合掌していない人がいるからやり直し!」

なんて、つい言ってしまうことって、ありますよね?

中学2年生の理科で、「動物の生活と種類」という単元がありまして、

その中で動物と植物の違いについて学習します。

動物と植物の一番の違いは何か?

それはですね、

「動物は、食べるために動かなければならない。

 植物は、食べる必要がないので動かなくていい」

です。

植物は動けない、じゃないんです。

動かなくていいんです。

なぜか?

生きていくための栄養を、自分の力で作り出すことができるからです。

私たち動物にはそれができません。

だから、どうしても他の生き物を「食べる」必要がある。

動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、

自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと

私は思います。

私たち動物は、そんな他の生き物の「いのち」を奪わなければ、

一時も生きていくことができない、悲しい宿命を背負った生き物なんです。

食を考えることは、命について考えることです。

このことを、どうやって子どもの心に響かせるのか、

そして、どうやって子どもの心に火を灯していくのか、

それが、きっとプロとしての教師の仕事なんだろうと思うんです。

私の心に深く残っているお話が二つありますので、ここでご紹介します。

一つは、九州大学大学院助教授の佐藤剛史先生が書いた、

「自炊男子~ 『人生で大切なこと』が見つかる物語」の中に出てくるお話です。

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「いただきます」「ごちそうさま」をなぜ言わなければならないか分かりますか?

「いただきます」の意味の一つは、「作ってくれた人の命をいただく」ということです。

命とは時間です。

ある人が80歳で亡くなったとしましょう。

ということは、80年間という時間が、その人の命だということです。

今朝、みなさんのお母さんは、30分かけて朝ご飯を作りました。

今日の夕食、お母さんは、1時間かけて夕ご飯を作ります。

その朝ご飯にはお母さんの30分ぶんの命、

夕ご飯には1時間分の命が込められているのです。

みなさんが生まれてから今日までの間、お母さん、お父さんは、

自分の命の時間を使って、みなさんを食べさせてきたのです。

そして、これから親元を離れるまで、ずっと、みなさんは、

お母さん、お父さんの命の時間を食べていくわけです。

「いただきます」の意味の一つは、「作ってくれた人の命をいただく」ということです。

食べ物を粗末にすることは、作ってくれた人の命を粗末にすることです。

心を込めて、「いただきます」「ごちそうさま」を言いましょう。

食べ物を作ってくれた人に感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

出典:「自炊男子~『人生で大切なこと』が見つかる物語」

   佐藤剛史 著 / 現代書林

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そしてもう一つは、内田産婦人科医院の内田美智子先生が書いた、

「いのちをいただく」

という絵本のもとになったお話です。

この絵本、ぜひともご購入いただいてクラスの子どもたちやご自分のお子さんに

読み聞かせてあげてほしい、そんな願いを込めてご紹介しますね。

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坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。

(中略)

ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、

一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。

荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。

坂本さんが

「明日の牛ばいねぇ…」

と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。

そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。

坂本さんは

「危なかねぇ…」

と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、

心配になってトラックに近づいてみました。

すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」

「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん、

 みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。

 ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」

そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。

坂本さんは

「見なきゃよかった」

と思いました。

トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。

 だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。

 ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、

 クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。

 明日は、どうぞ、よろしくお願いします」

坂本さんは、

「この仕事はやめよう。もうできん」

と思いました。

(中略)

牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、

坂本さんを威嚇するようなポーズをとりました。

坂本さんは迷いましたが、そっと手を出すと、

最初は威嚇していたみいちゃんも、しだいに坂本さんの手を

くんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、

「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、

 みんなが困るけん。ごめんよう…」

と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。

(中略)

牛を殺し解体する、その時が来ました。

坂本さんが、

「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」

と言うと、

みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。

その時、みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。

坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。

(後略)

出典:「いのちをいただく」

    内田美智子・諸江和美 著

    西日本新聞社

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ある学校で、保護者の一人から、

「給食費を払っているのに、『いただきます』と子どもに言わせるのはおかしい」

というクレームがあった、との話を聞いたことがあります。

「なんという常識のない保護者なんだ!」

と片付けるのは簡単です。

でも、もしもこの保護者が、この話を知っていたとしたら、どうだったでしょう?

現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきています。

そしてその結果、食べ物が粗末に扱われて、日本での一年間の食べ残し食品は、

発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといいます。

私たちは奪われた命の意味も深く考えることなく、毎日の食事と向き合っています。

動物は、みんな自分の食べ物を自分で獲って生きているのに、

人間だけが、自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の

思いも知らないまま、毎日の食事を食べています。

動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、

自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、

そう願って生きているんだと私は思います。

命をいただくことに対しての「思い」。

お肉を食べて

「あ~、美味しい。ありがとう」

お野菜を食べて

「あ~、美味しい。ありがとう」

そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

お肉を食べて

「うぇ~、マズッ!」

お野菜を食べて

「うぇ~、マズッ!」

そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

食べ物をいただくとき、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、

感謝の言葉をかけてあげられる人に育ちましょう。

今日もまた、食べられることへの感謝の言葉、

「ありがとうございます。感謝します。いただきます」

食べているときの「美味しい!」という言葉。

そして食べ終わった後の、「あ~、美味しかった。ありがとうございます。ご馳走さまでした」

という「食べられたこと」への感謝の言葉をかけてあげましょう。

もちろん、食べ残しをせずに。

食べ物が、あなたの体を作ります。

あなたの体に姿を変えて、あなたの中で生き続けます。

そして、体の中からあなたを精いっぱい応援してくれています。

あなたができる最高の恩返しは、たくさんの生き物たちから

命のバトンを託されたあなたの命を、いっぱいに輝かせること。

喜びに満ちた人生を過ごすこと。

それが、あなたと共に生きているたくさんの命たちが、いちばん喜ぶことなんです。

みんなの分まで、命いっぱいに輝きましょう。

…これが、私が教師として、プロとして、目の前にいる子どもたちやその保護者に

伝え続けていきたいメッセージです。