先生たちがブツブツブツ…(令和3年度)

ゆく年度、くる年度。

2022年3月31日 20時08分

こんばんは、村瀬です。

なかなか仕事に区切りがつかず、

気が付けば、すっかり外は暗闇になっております。

 

相野山小学校の名物、

駐車場の桜が満開を迎えています。

今年も大変きれいに咲き誇ってくれました。

早朝、E先生が何枚も写真を撮っておられました。

昼中は、ご近所の方が写真を撮りに来られていました。

入学式までもってほしいと心から願いますが、

村瀬が真面目に働いているという珍しさからか、

現在強風が吹きつけております。

おまけにこの先、雨天の予報。

さすがでしょ。

 

さて今日は、まさに年度末です。

日をまたげば、令和4年度がスタートとなります。

年末年始もしみじみとした気持ちになりますが、

学校現場にとっては、

年度末の方がより、感慨深く感じるものです。

 

今年度をもって、

チーム相野山からひとまず籍を抜く方がおられます。

家族が抜ける感じで、

やはり、さみしいものです。

職員室で使っていた机をきれいにしている姿を見ていると、

目がうるうるしてしまいました。

 

学校だけでなく、

学校を支えてくださっている、

日進市役所でも異動があります。

 

たわけたことばかり質問する村瀬に、

いつもおおらかに対応してくださったり、

時折返答を忘れてくださったりしたIさんをはじめ、

明日から違う部署で働いたり、

学校現場に戻ってこられる方が何名かいらっしゃいます。

今日に至るまで(Iさんに至ってはほんの1時間前まで)、

学校を支え続けてくださったみなさんに心から感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

さみしさが苦手なウサギちゃんのような村瀬は、

この時期はとても苦手です。

しかし、その裏側には、

新たな「出会い」の喜びもあります。

去り行く方々がきれいにした机に、

明日からは新しい仲間が座ります。

相野山に新しい風を吹かせてくれることでしょう。

 

学校周辺だけでなく、

明日から生活に変化が起きるであろう方は、

少なくないのではないかと思います。

そこには、

不安もあるでしょう。

でも、大丈夫。

自分「らしさ」を大切に、

慌てず、焦らず、一歩一歩進んでいけば、

やがては相野山の桜のように、

きっと眩しく輝く日が訪れる。

 

そう自分にも言い聞かせている、

村瀬なのでした。

 

最後になりましたが、

今年度もこの無意味なつぶやきをのぞいてくださった、

レアな皆様に厚く御礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

ところで来年度、

果たしてこのページ、残っているのでしょうか??

 

それでは、また。

次のステップへ。

2022年3月24日 09時39分

こんにちは、村瀬です。

快晴です。

年度終わりに、ふさわしい気候のように感じます。

 

今年度も、無事に全員が進級することができました。

修了式で校長先生が子どもたちに伝えたように、

全員が着実に成長してきたことを、

全教職員が実感しています。

 

式の終わりには、

5年生のYくんと3年生のRさんが、

今年度の振り返りを発表してくれました。

二人とも、自分の成長したことを教えてくれましたが、

どちらも素晴らしい内容でした。

 

言うまでもなく、

成長の速度は、人それぞれです。

他の誰かと比べても、あまり意味がないように思います。

比べるべきは、「過去」の自分なのだろうと考えます。

 

加えて、

「過去」の自分が「だめ」というわけではありません。

「過去」の自分がいたからこそ、

「今」の自分にたどりつけたのだと思います。

そう考えると、

無駄なことなど、何一つないのでしょう。

 

子どもたちの「伸びしろ」は膨大にあります。

うらやましい限りです。

片や村瀬の「伸びしろ」は・・・。

苦笑いするしかありません。ははは。

 

しかし、こんな村瀬でも、

きっと成長したところもあるのでしょう。

ちょっと、考えてみます。

・・・。

・・・。

・・・。

・・・。

次までの宿題にしたいと思います。

 

とにもかくにも、

次のステップへ進むことができた今日は、

子どもたちにとって大切な一日です。

どうぞご家庭で、

「いい子いい子」となでてあげたり、

「たかいたかい」をしてあげたりして、

全力で褒めたたえてあげてほしいと願います。

 

もちろん、

こうして進級できる子どもたちの裏側では、

保護者のみなさんの力強い支えがあったことは存じ上げております。

その「おかげ様」に、

心から感謝申し上げます。

今年度も本当にありがとうございました。

 

それでは、また。

いってらっしゃい。

2022年3月18日 15時26分

こんにちは、村瀬です。

涙雨が、しとしとと地面をたたいています。

 

本日、卒業式が無事に挙行されました。

立派な姿で、羽ばたいていきました。

 

レンズ越しではありましたが、

どの子も眩しく、いきいきと輝いていました。

 

卒業生のみなさん、

おめでとうございます。

とても素敵でした。

それぞれの道を、

それぞれのペースで、

胸を張って、

歩いていってくださいね。

気を付けて、いってらっしゃい。

 

それでは、また。

前日。

2022年3月17日 17時47分

こんにちは、村瀬です。

陽が沈む時間がずいぶんとゆっくりとなってきました。

その一方で、

あれよあれよと月日は流れ、

とうとう卒業式前日となってしまいました。

私たち教員にとっては、

3月の方が「師走」(しわす)にふさわしい感じがします。

 

こんな村瀬でもなんだかせわしなく、

ぶつぶつこぼす時間がなかなかつくれませんでした。

「週一回ぶつぶつ」の目標はどうにか維持しておりますが、

ぜーはーぜーはー肩で息をしながら、日々を疾走しております。

しかしながら、

6年生の担任、Y先生、H先生に比べれば、

このいそがしさなんぞ、鼻で笑われるレベルです。

お二方とも、今日に至るまで、

子どもたちのために常に精一杯、尽力されておられました。

同僚ながら、頭が下がる思いです。

きっと今晩も、

胸がいっぱいになって、なかなか眠れないんだろうなと思います。

 

村瀬自身もそうでした。

今まで5回ほど、被害者、いや、卒業生を送り出してきましたが、

どれもしっかり、心に残っています。

そして、どの前日も、

子どもたちと過ごした日々を何度もリピートさせていたことを覚えています。

日をまたぐまで、教室で過ごすこともありました。

6年生の担任にとって、たちにとっても、

卒業式はやはり、それだけ特別な日なのだと思います。

 

今年度も、何度か卒業式練習に参加させていただきました。

校長先生を演じたり、来賓を演じたり、

明らかに不相応な役柄で村瀬が前に立っていても、

子どもたちは吹き出すことなく、いつも真剣に練習していました。

昨日、最後に参加させていただいたときには、

胸が熱くなるほど、立派な姿を見ることができました。

 

 

卒業生の保護者のみなさん、どうぞご期待ください。

素晴らしい式になることを、村瀬が確約いたします。

 

卒業生のみなさん。

いよいよですね。

この前話した通り、

先生は当日、みなさんをレンズ越しで見ています。

あいにく手がふさがり、

拍手することができませんが、

心の中で精一杯、エールを送っています。

みなさんらしく、

どうぞ堂々と式に臨んでくださいね。

 

それでは、また。

たくさんの笑顔。

2022年3月11日 14時55分

こんにちは、村瀬です。

今日は穏やかな日差しです。

外では上着を脱いで走り回る子どもたちが増えてきました。

花壇に植えたチューリップも背丈をずんずん伸ばしています。

 

そんな日柄の中、

本日は「6年生を送る会」が行われました。

詳細は校長ぶろぐ「児童の活動」に譲りますが、

とても素晴らしい会になりました。

 

オンラインと対面を駆使するというハイブリットな形で行いました。

放送のトラブルが生じてしまった場面もありましたが、

各学年、対面の出し物で見事に取り返してくれました。

 

1年生。キレキレのBTSダンスとかわいい合唱。

2年生。6年生の過去の写真をお面にして、思い出を振り返りました。

3年生。素敵なエーデルワイスの合奏。

4年生。オーレー、オーレー、マツケンサンバ!

そして、今回の会の主催者である5年生は、

ここ何年か、相野山小の恒例となっている、

書道パフォーマンスを披露してくれました。

M先生の指導の下、

お世辞抜きで今年も見事な作品を仕上げてくれました。

準備や進行も素晴らしかったです。

ああ、こうして、最高学年にふさわしい姿に成長していくんだなあ、

と、しみじみしながら、村瀬はビデオを撮影していました。

 

様々な制約がある中でも、

各学年、少しでもたくさんの祝福を捧げたいと、

工夫をしながら、たくさん練習を重ねていました。

6年生に少しでも「恩返し」したい。

きっと、その想いが、どの学年にも強かったからと感じます。

 

今まで、どれだけの下級生が、

6年生の優しさを受けてきたでしょう。

子どもたちだけではなく、私たち教職員も、

彼らの優しさに、何度も助けられてきました。

そんな6年生に対して、

熱を込めて出し物を考え、練習するのも、

当然の流れだったように思います。

村瀬も微力ながら、この会をお手伝いさせていただきました。

 

この前、子どもたちにも話をしましたが、

村瀬は6年生と同じタイミングで、

相野山小学校に赴任しました。

 

彼らが1年生のとき、

誰だか忘れましたが、女の子に、

「先生も同じ1年生だよ」

と、しゃべりかけたら、

「そんなひげがモジャモジャの1年生いないよ」

と、さらりと返され、そばにいた村瀬のクラスの子どもが、

「先生より、しっかりしてるじゃん」

と言われたことを覚えています。

また、

誰だか忘れましたが、

廊下を走っていた男の子とぶつかったとき、

「気を付けなよ」

と、村瀬が言う前に、

「気を付けてよ」

と、男の子に言われ、

「お、おう・・・」

と返したことも覚えています。

 

そんな幼き頃から、早(は)や6年です。

どの子も一歩一歩、

それぞれの歩幅で、

今日に至るまで歩みを進めてきました。

これがどれほど尊いことか、

本日だからこそ、より強く感じます。

 

3月11日。

記すまでもないことですが、

11年前の今日、

多くの命が奪われました。

犠牲になられた方々もいたかった未来に、

私たちは生きている。

そのことの尊さを、忘れてはならないように思います。

 

本校も全員で黙とうを捧げました。

掲揚した半旗が青空の下、静かにたなびいています。

未だ、復興はおろか、復旧さえ果たしていない地域や家庭がありますし、

故郷に帰れない方も大勢いらっしゃいます。

犠牲になられた方のご冥福を祈るとともに、

一日でも早く、また、一日でも多く、

今日、相野山小学校でたくさん見られたような笑顔が、

被災された方々にも灯(とも)ることを、心より願っています。

 

それでは、また。

ブロック。

2022年3月2日 13時00分

こんにちは、村瀬です。

いよいよ、三月に入りました。

ここのところの暖かさで、

校庭に植えられた梅の花が、

次々に顔をほころばせています。

今日の日差しの具合をみても、

春はすぐそこまで、といった感じでしょうか。

 

3月をまたぐと、

学校の時間はさらに速さを増していきます。

特に6年生は、日々その思いを強くするのだと思います。

6年両クラスに設置された、

「卒業まで〇日カレンダー」は「13」を示しています。

今日を含め、

あと13回通いなれた道を行き来したら、

次のステップへと進むのです。

 

卒業式の練習も始まりました。

相変わらずの状況で、様々な制約がある中ですが、

卒業生のために、

担任のY先生、H先生たちは、

少しでも胸を張って巣立ちのときを迎えられるように、

知恵を絞り、労力を惜しまず、日々過ごしております。

その姿勢に、頭が下がります。

 

さて、

そんな6年担任、H先生と村瀬との話です。

仕事上、SNSでやりとりをする機会があるのですが、

先日、H先生が村瀬に尋ねてきました。

H「村瀬、私の連絡見とらんでしょ?」

村「一体、何の話でございましょうか?」

H「金曜に送ったやつ、既読になってないもん」

村「はて、そんなもの、届いておりませんが?」

H「そんなはずないわ。ちょっとみてみやあ」

村「かしこまりました。

  ほら、ご覧ください。

  あなた様からの連絡は、1月以降ぱったりと途絶えております」

H「うそー? ほら、私の見てみやあ。

  ちゃんと送っとるがね」

村「いやいや、ご覧の通り、私に落ち度はございませぬ」

H「あんた、ひょっとして、私の通信、ブロックしとるんじゃない?」

村「ははは、そんなことあるわけないでございましょう」

H「確認してみやあ」

村「ええ、もちろん、構いませんよ。

  まったく、うたぐり屋でございますねえ。

どれどれ、あ・・・・」

H「どうなの?」

村「・・・」

H「おい、あんたまさか・・・」

村(静かにうなずく)

H「まーーーーかん(決して許さない)!!」

 

H先生は怒髪天(どはつてん)となり、

ものすごい形相で村瀬を罵倒しつづけました。

もちろん、故意で行ったわけではありません。

しかし、荒れ狂うH先生は聞く耳をもたず、

いろいろな先生に、

「ちょっと聞いてよ。村瀬最低よ。私をズタズタに傷つけたの」

と吹聴(ふいちょう)しまくりました。

このままではただでさえ狭い村瀬の居場所がどこにもなくなってしまうので、

村瀬は大量のかわいらしいグミをH先生の机上に置き、

謝罪の意を精一杯表したところ、少しだけ冷静さを取り戻したようでした。

 

6年生のみなさん、

いよいよそのときが近づいてきましたね。

もしも、H先生のご機嫌が斜めのときがあったら、

それは村瀬のせいだよ。ごめんね。

その代わりに、

みなさんが少しでも気持ちよく羽ばたけるように、

村瀬も微力ながら、サポートさせてもらいます。

 

それでは、また。

体の要(かなめ)。

2022年2月25日 13時06分

こんにちは、村瀬です。

 

それは、昨日。

足元のコンセントのからみを直そう、

そんなごくありふれた作業をしようとしたときに起こりました。

かがんで机の下に潜ったとき、思わず、

「うはっ」

という声が漏れてしまいました。

腰に電流が流れたのです。

 

腰を「やっちまった」ときの苦しみを思い返すと、

経験者なら誰でも顔をしかめるに違いありません。

村瀬が最初に「やっちまった」のは、

前任校で6年生を担任していたときです。

 

なんか、腰に違和感を感じるなあと、過ごしていたある日のこと。

お風呂に入り、湯船から出ようとして立ち上がったとき、

背中から腰、太ももの裏にかけて、衝撃が走りました。

あまりの痛みに、足が上がらなくなりました。

自力では、湯船のへりを超えることができないのです。

立ったまま、「足湯」につかっている状態です。

すっぽんぽんでしたので、だんだん寒くなってきましたが、

座ることもできません。

さらには、不運にも、家には誰もおりません。

独り、すっぽんぽんで足湯につかる男。

あまりにも哀れな姿だったと思います。

2時間後、相方が帰宅しました。

「おーい、助けてー」

と、か細い声で助けを呼ぶと、浴室に来てくれました。

が、その惨(みじ)めな姿に、大爆笑。

心配する前に、腹を抱えて笑い始めました。

この出来事は、

夫婦の禍根(かこん)として、今でも村瀬家に残っています。

 

病院では、「へるにあ」と診断されました。

ちなみに、そのときの学年の担任陣全員が、

「へるにあ」を罹患(りかん)済みだったため、

当時流行していた映画「ナルニア国物語」にちなんで、

学年団を「へるにあ国」と名乗り、

「新しいへるにあ国王の誕生だ」と騒いでいたものです。

 

幸い、2週間ほどで痛みは引き、

健全な日常生活を取り戻すことができたのですが、

それ以来、再発を恐れ、そこそこ腰には気を配って生活しています。

が、元来いいかげんな人間ですので、

気がつけば姿勢が悪くなり、腰に負担をかけ、

痛みを感じて、恐れおののく、

というループを相変わらず繰り返しております。

 

疲れがでたり、緊張感が緩む期間に事は起こりやすいため、

痛みが発生するのはほとんど、家で過ごしているときだったのですが、

久しぶりに学校で起きてしまったのです。

よりによって、職員室で。

 

「うはっ」という声に敏感に反応したのが、

隣の席に座る、Y先生です。

相野山小職員の中で随一の危険人物が第一発見者になってしまったのです。

村瀬の様子から一瞬で状況を判断します。

そのスピードは天才的です。

「あ、村瀬、腰やったな。

こりゃ。ぎっくりー(ぎっくり腰)だ。ぎっくりーだ。ぎゃはははは」

悪魔の高笑いが職員室に響きます。

その騒ぎに、ALTのS先生が反応してそばにやってきます。

「ほんとだー、村瀬。

 もうこれは動けないね。おしまいだ。きゃはははは」

普段、職員室の給食のあまりを、

S先生に無理やり押し付けていたのが仇(あだ)になったようです。

ここぞとばかりに、Y先生とはしゃいでいます。

(ちなみに、お二方ともぎっくり経験者です。)

 

騒ぎを聞きつけ、多くの先生たちが見物しに来ます。

最悪なのが、笑うことです。笑う度に激痛が走ります。

その姿がおかしくて、みんなが笑かしにかかります。

校長先生すら、「写真撮っていい?」とにやにや近づいてきました。

思わず、「あっちへ行け」と言ってしまいました。

後日処分が下るかもしれません。

 

一時間ほど職員室の床で正座し、

子どもたちが帰った後、

これではもう、仕事にならないということで、

帰還命令が下ります。

しかし、車までの道のりがあまりにも遠すぎます。

台車がやってきて、乗れと言われました。

荷物を運ぶ、あの台車です。

その姿を想像して、また笑ってしまい、激痛に襲われます。

最終的には車いすが用意されました。

 

さながら高級ホテルのように、

Y先生が車を玄関に寄せてくれました。

S先生は痛み止めの薬をくれました。

悪魔にも良心があるのだなあとしみじみしながら、

車いすで運ばれていきます。

階段も多くの先生で持ち上げてくれました。

最後の段差で誰かの手が滑り、ガクンと落ちた衝撃で、

また悲鳴をあげると、爆笑が起こりました。

 

気が付けば、大半の職員が外に出ています。

「へるにあ国王の帰還」にはふさわしい光景です。

または、離任式によく見られる光景です。

結局、みんな、優しいんだよなあ、と感涙して、

「6年間、お世話になりました」

と、思わず口に出してしまいました。

 

その後、村瀬は、行きつけの接骨院に直行し、

処置をしてもらい、今日に至ります。

おかげ様で今では、

すっかり元気になりました。

まあ、笑うと痛みが走ったり、

階段では手すりをぎゅっと握ったり、

能役者のようにそろりそろりと歩いたり、

5年生の授業では、落ちた黒板消しが拾えなくて、

子どもたちから爆笑されたりしていましたけど。

 

ということで、

長々と意味のないことをぶつぶつしてごめんなさい。

本日二回目のぶつぶつにもなってしまいましたが、

これくらいしかできる仕事(?)がないもので…。

一本目の内容に免じて許してもらうか、

腰の大切さを感じ取ってもらうか、

少しでも笑顔が生まれましたら、幸いです。

 

みなさま、

腰に気をつけて、よい週末を。

 

それでは、また。

おかげ様。

2022年2月25日 11時20分

こんにちは、村瀬です。

今日はまぶしい青空が広がっております。

厳しい冷え込みが少し緩み、

明日からは一段と暖かくなるそうです。

「三寒四温」を繰り返して、ちゃんと春に近づいている様子です。

 

本日は児童会主催による、

「感謝の会」が行われました。

日頃、子どもたちを支えてくださっている、

交通指導員さん。

五色園見守り隊のみなさん。

交通ボランティアのみなさん。

消毒ボランティアのみなさん。

清掃ボランティアのみなさん。

図書ボランティアのみなさん。

それぞれの代表の方をお招きし、感謝の気持ちをお伝えしました。

(詳しくは校長ぶろぐ「児童の活動」をご覧ください。)

 

会の中で、校長先生が、

「本来なら全員の方をお招きしたかった」

と、おっしゃられておりましたが、

全くその通りだと感じます。

しかし、子どもたちや学校を支えてくださっている方全員、となると、

おそらく、体育館、いや、運動場にも収まらぬほどの数になってしまうかと思います。

その支えの筆頭は、もちろん、

保護者のみなさんです。

その支えをなくして、学校は成り立ちません。

言葉だけでは到底足りるものではありませんが、

心より感謝申し上げます。

いつも本当にありがとうございます。

 

当然ですが、支えとなっているのは、

それだけにとどまりません。

食材の調達、調理、配達に関わる、給食関係者の方々。

検診や緊急時に対応してくださる、医療関係者の方々。

教材・教具をご準備いただく業者の方々。

施設や教材の修理・修繕してくださる業者の方々。

学校運営が円滑に進むようご尽力いただいている市役所の方々。

などなどなどなど、

枚挙に暇(いとま)がないとは、まさにこのことです。

 

どの支えも、

子どもたちが直接目にすることは、少ないのかもしれません。

その見えにくいご尽力に対しては、

「おかげ(陰)様」

という言葉がふさわしいように感じます。

『感謝の会』は、

その「陰」に光を当てる大切な会なのだと思います。

 

こういった会を機に、

「おかげ様」の気持ちを育み、

感謝の想いを大切にする子どもたちにしていくことが、

お支えいただいている方々への恩返しにつながる。

そう信じて、日々子どもたちと向き合おうと考えている、

教職員一同なのであります。

 

それでは、また。

冬の祭典。

2022年2月22日 11時35分

こんにちは、村瀬です。

朝起きた時、窓から見える世界が白く染まっていることに、

驚かれた方も多かったのではないでしょうか。

学校そばの通勤路の、両サイドに水田が広がって言う場所があるのですが、

朝日に照らされてまぶしいほどきれいだったので、

思わず停車してしばらく見入ってしまいました。

一方で、学校近隣でも交通事故が何件かおきていたようです。

おそらく道路の凍結が原因かと思いますが、

天候が悪い日は、より一層、

安全に気を付けてハンドルを握る必要がありますね。

 

雪といえば、

二日前の日曜日、

冬の祭典、冬季オリンピックが幕を閉じましたね。

今回も数々のドラマを私たちに見せながら、

この緊迫した情勢におだやかな光を当ててくれたように感じます。

 

当たり前のことですが、

オリンピックに参加する選手のみなさんの技量や精神力には、

まったく恐れ入ります。

どの競技を見ても、どうしてそんなことができるの、と、

口がぽかんと空いてしまいます。

 

かつて、カーリングを体験させてもらったことがあります。

思ったところにストーン(あれ、20kgもあるんですよ!)が置けない、

なんてレベルではなく、

村瀬はストーンを手放すことすらできませんでした。

片足でハック(蹴り台)を蹴って、勢いをつけて前進しなければなりませんが、

蹴った瞬間に、転倒しました。

何度やっても、転倒しました。

安定した姿勢をとるには、柔軟性とバランス感覚、体幹力が必要なようですが、

全てを欠如している村瀬が、できるはずもありません。

あまりにもできないものですから、

ブラシでゴシゴシする役目しか、やらせてもらえなくなりました。

しかし、このゴシゴシも、難しい。

村瀬はここでも転倒してストーンにぶつかったり、

仲間のストーンをブラシで直接はじきだしたりと、

散々なプレーヤーとして周りに白い目で見られました。

 

スケートも経験済みです。

カーリングより転倒を繰り返しました。

ヘルメットがなければ、

おそらく今ここにいないであろうくらい、

何度も氷に頭をぶつけました。

 

スノーボードも経験済みです。

が、前を向いて立つことができず、

いつも斜面と向かい合ってではないと起き上がれませんでした。

ふもとから見ていた友人たちに、

「なぜ村瀬は、いつもおしりを見せつけて、降りてくるんだ」

と、揶揄(やゆ)され続けました。

 

スキーも経験済みです。

スノーボードに比べたら、まし。

そう思っていたのですが、

数年前、家族でゲレンデにおもむいたときの話です。

10年以上のブランクがあり、

さらには以前に比べ、確実に運動不足だった村瀬は、

予想以上の滑(すべ)れなさに、我ながら唖然としてしまいました。

が、初めて雪山にやってきた、

息子まいけるや(娘まーがれっと)がいる手前無様な姿は見せたくない、

とは思いましたが、

スキースクールに数時間通った二人に、

技量をあっという間に追い抜かれてしまいました。

それでも、まーがれっとのおもり役として、

へっぴり腰で後ろからどうにかついて滑っていました。

あるとき、細く、ゆるやかな斜面の真ん中で、

まーがれっとが急に止まりました。

父は衝突を避けようと、板を横に向けたのですが、

止まりません。

ゆっくり、ゆっくりと、コースを外れていきます。

そして、急斜面を滑り落ち、セーフティーネットに抱きとめられました。

その際、ネットの支柱に右手小指をぶつけ、激痛が走りました。

(ちゃんと骨折していました。)

コース内に取り残されたまーがれっとが心配しないように、

痛みにこらえながら、父は声をかけます。

「まーがれっとよ、案ずるな。父は無事じゃ。

 そなたは先にゆき、母上のもとへ向かうのじゃ。

 ここは危険であるうえ、父を救おうなどと、ゆめゆめ考えるでないぞ。

 さあ、父のことなどかえりみず、進むのじゃ!」

振り返ると、そこにはマーガレットの姿はありませんでした。

代わりに、

「パパ、あそこで網に引っかかってるおじさんがいるよ」

と、ストックで村瀬を示している知らない男の子がいましたとさ。

 

なんて、どうでもいい思い出に身を浸しながら、

2週間程、様々な競技に見入っていました。

歓喜に包まれた選手がいる一方で、悔しさを噛みしめる選手も見られました。

結果はいつだって、時の運に大きく左右されるものですが、

世界を舞台に戦った、また、

そこに至るまで絶え間ない努力を重ねてきたという事実は、

揺らぐことはありません。

その事実があるからこそ、

選手のみなさんは勇気や希望を与える存在になれるのではないかと感じます。

そして私たちは、選手と一緒に喜びや悲しみを分かち合えるのではないかと思います。

 

選手に憧れ、行動に移した子どもたちが、

また次の世代に光を灯す。

そのなかにいつか、相野山小学校の誰かが加わってほしいなと願う、

世界の舞台とは無縁の村瀬なのでした。

 

それでは、また。

リアルタイムで。

2022年2月17日 14時37分

こんにちは、村瀬です。

風がうなっております。

今朝は軽くふぶいていましたし、

昼放課には小さな粒でしたが、「あられ」が降り注いでおりました。

そんな中、運動場の中央で、

2年生の少年たちが、空を見ていました。

口を開けながら。

味、知りたいよね。

でも、うまく入ってこないよね。

職員室から見守っていた、村瀬です。

 

現在、職員室に一人ぼっちです。

相野山小学校では、よくある状況です。

うかつにトイレも行けません。

電話や来客があるかもしれませんので。

 

ついこの間、一人でいる際に電話がかかってきて、

その応対中に、違う電話がかかり、

さらにインターホンが鳴らされる、

という状況が生じました。

万が一、昼中に電話がつながらない、

インターホンを押しても反応がない、

という際は、そのような事情かもしれませんので、

どうぞご容赦ください。

 

運動場から2年生の歓声が聞こえてきます。

どうやら、学年でレクリエーションをしているようです。

強い風に負けず、子どもたちは走り回っています。

かたや担任陣は、震えながら笑顔を固まらせています。

 

事務職員のRさんが戻ってきてくれました。

Rさんは電話に出るのが、とても速いです。

ちなみに、教頭先生も、とても速いです。

お二方とも、コール音が鳴る前に出ることがあります。

見習いたいと思います。

そういえば、Rさんから、

「村瀬、バリカン買っていいよ」

と許可をいただきました。

髪の毛を刈り上げるものではありません。

植木を剪定するものです。

今までハサミでちょきちょきやっていた作業が、

猛烈にはかどりそうなアイテムです。

天使だと思いました。

 

これでようやく席を外せそうです。

この後、幼稚園や保育園の先生がやってきます。

新1年生の情報交換会です。

村瀬もおめかしして臨みたいと思います。

ちょうど5時間目が終わりました。

今回はリアルタイムの出来事(や頭に浮かんだこと)をぶつぶつしてみました。

他にやることはないのか、という声が聞こえてきそうです。

もちろん、他にやることは降り注ぐ「あられ」の数ほどあります。

が、一息つくことも、大事ですよね。

どうぞご容赦ください。

 

それでは、また。

ピカピカ。

2022年2月16日 17時09分

こんにちは、村瀬です。

先ほどまで教室のワックスがけをしておりました。

ピカピカになりました。

これで、数日はきれいでしょう。

その後、早い段階で誰かが、

墨汁をこぼしたり、牛乳をこぼしたり、落ちていた米粒を踏みつぶしたりして、

相野山小学校らしいレトロな雰囲気に戻ると思いますが。

 

ワックスがけをする少し前、

3年生の子どもたちが床の水拭きに励んでいました。

休み時間を使ってきれいにしてくれている子もいました。

きっと心もピカピカになったことでしょう。

 

その数時間前、

村瀬は5年生で社会の授業をしていました。

自然災害についての授業です。

とある質問に子どもが、

「火山」(かざん)と答えました。

しかし村瀬の耳は、

「花壇」(かだん)と聞こえてしまいました。

「花壇で災害が起こるとしたら、それは『虫』が原因であろうな」

なんてことを口走ってしまったことから、話は本線から逸(そ)れていきます。

「虫」から「ハチ」の話になり、「ハチ」から「スズメバチ」の話になり、

最終的には「ミツバチ」対「スズメバチ」の話に着地します。

「スズメバチを倒す、ミツバチの必殺技って知っておるかね?」

と尋ねたところ、

多くの子どもたちが首を振りながら、目をピカピカ光らせます。

それを見てしまうと、もう止められません。

緻密(ちみつ)で写実的(しゃじつてき)なイラストを黒板に描きながら、

ミツバチの必殺技「熱殺蜂球(ねっさつほうきゅう)」について、

熱く語り始めます。(気になる方はどうぞインターネットの世界へ!)

こうして今日も、脇道を突っ走っていたわけです。

しかし、子どもたちの好奇心に満ちたピカピカの目は、

どうにも抗(あらが)い難(がた)いものがあるのです。

 

ピカピカの床の上で、

ピカピカの心をもった子どもたちの、

ピカピカに光る目を見たい。

そんなことを考えながら、

今日も教材研究に走る相野山小の先生方と、

ネット記事を読み漁(あさ)る村瀬なのです。

 

それでは、また。

バレンタインデーよりも。

2022年2月15日 14時34分

こんにちは、村瀬です。

運動場にある男子トイレがつまり、

先ほどまですっぽんすっぽんやっておりました。

なかなか楽しい作業でした。

 

ところで昨日は、

男の子たちが挙動不審になる、バレンタインデーでしたね。

学校での受け渡しは禁止となっておりますので、

放課後どんなドラマがあったかわかりませんが、

高学年の男子あたりは内心わくわくしていたのかもしれません。

我が子まいけるも、前日の日曜日、

「ちょこれーとは苦手なのでござるが、どうしたものか。

 やはり、受け取って食べるべきか。

 いや、正直に事情を説明すべきか。あいや、困った困った」

と、一人ぶつぶつしておりましたので、思わず声を掛けました。

父「まいけるよ、それほど悩むとは、そなた、もらえるあてがあるのか?」

子「いえ、特には」

父「なに? あてがないのに悩んでおるのか?

  なんとめでたいやつじゃ。

  そういうのを、『もらえぬチョコの皮算用』(捕らぬ狸の皮算用)

   というのじゃよ。かっかっか」

子「それでは父上、幼き頃、もらったことがあるのでござるか?」

父「・・・」

子「さてはその顔、もらったことがなかったのでござろう。

  これはまさに、『チョコをもらえぬ子はチョコをもらえぬ』(蛙の子は蛙)

  でござりますなあ。

  父上がこれでは、こりゃ仕方ありますまい。

  ほっほっほ」

父「むきーーー」

という不毛なやりとりが村瀬家では行われておりました。

 

ちなみに、給食もバレンタインデーモードになっており、

デザートはチョコ風味、甘いカボチャコロッケもハート形になっておりました。

日進市の給食センターは、いつだって素敵な試みをしてくれます。

まいける(やその父)のようなあわれな男子たちに光を与えてくれます。

職員室では、用務員のKさんが、

あまっていたハート型コロッケを半分にちぎって、村瀬の皿にのせてくれました。

これはKさんの村瀬に対する気持ちの表れか?!

と、少し恐れおののきましたが、とりあえずおいしくいただきました。

 

という、どうでもいいバレンタインデーの話はさておき、

2月も半分が終わってしまいました。

いよいよ、6年生との別れがせまってきています。

6年生が登校する日数は、今日を含めて、「23日」です。

本日は奉仕活動の一環で、

特別教室のワックスがけを行ってくれます。

 

それと今日は、児童会役員選挙が行われました。

令和4年度の前期の児童会を担う役員を決める選挙です。

6年生に投票権はありません。

そんなところからも、

卒業が近づいていることを感じます。

 

また、多くの学年が、

『6年生を送る会』に向けて活動をスタートさせています。

5年生を中心に、

様々な制約がある中でも、どうにか工夫して、

会を成功させようとみんなで励んでいます。

 

一日、一日が過ぎていく度、

さみしさは募ります。

だからこそ、

バレンタインデー以上に、

笑顔の花が咲く素敵なプレゼントを6年生に送りたい。

そう考えながら日々を過ごしている、

相野山小学校の面々なのです。

 

それでは、また。

黙々(もくもく)と。

2022年2月9日 14時24分

こんにちは、村瀬です。

小春日和の一日ですね。

外にいるとさわやかな気持ちになれます。

しかし、明日から再び寒気に包まれるようです。

まったく、せわしない気候です。

 

相野山小学校も、相変わらず、

村瀬の手ですら借りたいようなせわしなさです。

そのバタバタ感を、逆に楽しみながら日々を過ごしているこの頃です。

 

世の中を覆(おお)っている霧(きり)もますます濃く立ち込めており、

不安やストレスも膨らんでいる感があります。

ご承知の通り、学校現場にも大きな影響があり、

今日は本校で臨時校長会が開催されております。

重い雰囲気を少しでも打破しようと、

来校された先生方を、

子どもたちが元気な声であいさつをして出迎えておりました。

 

この霧が発生してから、もう2年が経過しようとしています。

多くのことができなくなったり、形を変えたりしています。

学校も同様に、行事ができなかったり、以前とは違った形で運営したりと、

度々頭を悩ます状況です。

 

ここのところ、学級に入り、給食を食べることが多いのですが、

この時間も大きく姿を変えています。

メディアで頻繁に紹介されておりますので、多くの方がご存じかと思いますが、

現在は、『黙食』(もくしょく)という形で給食をいただくことになっております。

書いて字のごとく、「黙って、食べる」ことです。

書いて字のごとく、みんな「黙々(もくもく)」と食べています。

 

「いただきます」をした後、教室には放送委員会が流した音楽が響くだけで、

子どもたちの私語は一切聞こえません。

席も全員が一方を向いて食べる形になっております。

おかわりも自由に行うことができません。

村瀬は未だに慣れず、

教室で給食をいただく度に、驚きと戸惑いを感じています。

ついつい、しゃべりかけたくなるのですが、

ぐっと我慢の毎日です。

 

ほとんどの方は、

グループをつくり、みんなで向かい合いながら、

わいわいがやがやと食べた経験をおもちなのだと思います。

食事中にもかかわらず、

スピーカーから流れる歌の合唱がはじまること、ありましたよね。

余ったごはんを、

みんなでわいわいがやがやおにぎりにして食べたこと、ありましたよね。

しゃべることに夢中になりすぎて、

終了時間に間に合わず、叱られていた子ども、いましたよね。

鼻から牛乳、出していた子ども、いましたよね。

 

今では一切、見ることのできない光景です。

食事に集中して食べられる、しっかりと味わえるなど、

「黙食」にも良さはあるのですが、

給食を楽しく食べる文化に育った身としては、

やはりどこか、さみしさを感じてしまいます。

 

食事が危険な状況を招くと思われる現状では、

仕方ないのないことだと誰もが重々承知しておりますので、

どの学級もしっかりと黙食を維持している様子です。

そんな静かな給食の時間に、

かつてのにぎやかな子どもたちの残像を見ながら、

一日でも早く、笑い声が響き、

「おかわりジャンケン」で盛り上がる日々が戻ることを願っている、

村瀬なのでした。

 

それでは、また。

春を待たずに。

2022年2月3日 10時44分

こんにちは、村瀬です。

今日は節分。

冬の最終日です。

春の温かさはまだ先にありそうですが、

少しずつ、命の息吹(いぶき)を感じるようになってきました。

 

そんな希望が膨らむような日に、

かなしいお知らせをしなければなりません。

 

本校で飼育していたうさぎ、「ホワイトソックス」が、

春を待たずに、息を引き取ってしまいました。

 

昨年度末、大きなけがを負い、

それでも必死に寒さを耐え、

また、今年度、相次いで仲間が先に旅立ったさみしさにも耐えながら、

命の限り生き続けてくれました。

私たちの誰よりも長く相野山小学校で生活していたホワイトソックスです。

天寿を全(まっと)うしてくれたといってよいと思います。

毎日欠かさず、お世話をしていた飼育委員とお別れ会をした後、

仲間が眠る場所に埋葬しました。

 

これでとうとう、

市内で一番広い飼育小屋には、

誰もいなくなってしまいました。

愛らしさで癒やしてくれただけでなく、

命を育むことの尊さや厳しさ、儚(はかな)さを、

ホワイトソックスをはじめ、多くのうさぎさんたちが、

私たちにその身をもって教えてくれました。

心から哀悼(あいとう)の意と感謝を捧げたいと思います。

 

ホワイトソックス、

家族や仲間たちには、会えたかな。

今頃一緒に走り回っていると嬉しいよ。

長い間一緒に生活してくれてありがとう。

ゆっくり休んでね。

 

それでは、また。

猫の手も借りたい。

2022年2月1日 14時18分

こんにちは、村瀬です。

早いもので、もう2月です。

季節は冬から春へと移り変わろうとしています。

心なしか、梅の花のつぼみが膨らんでいるような気がします。

 

年度末にかけて、

学校はどたばたしてきております。

先生方は「猫の手も借りたい」ようですが、

猫はおらず、仕方がないので、

「村瀬の手だけれども借りたい」といった感じで、

こんなワタクシでも引っ張りだこの様相を呈しております。

お役に立てれば幸いです。

 

というわけで、

ここのところ、よく学級にお邪魔させていただいております。

久しぶり理科の授業なんてのも行ってみたりしました。

なかなか楽しかったです。

ただ、楽しいのは村瀬だけで、

子どもたちは説明中、白目をむいていた気がします。

話が横道にそれて、学習内容とは関係ないどーでもいい話になると、

意識を取り戻していた気もします。

教えるって難しいですね。

反省、反省の毎日です。

 

あ、そういえば、

先程、「猫はいない」と申しましたが、訂正します。

相野山小学校では、先日から、猫を飼い始めたのでした。

名前は「あいにゃん」です。

身体がとても大きく、150cmほどあります。

ボディーは白く、少し硬(かた)いです。

現在は、日進市市民会館で過ごしているようです。

2月3日(水)まで、

あいあい学級が創作した素晴らしい作品と一緒に過ごしておりますので、

ぜひ会いに行ってあげてくださいね。

(校長ぶろぐ「児童の活動」をご覧いただくと、全貌(ぜんぼう)がわかります。)

 

さて、今から再び、授業に行ってきます。

 

それでは、また。