祖父との思い出。
2021年9月17日 12時30分再びこんにちは、村瀬です。
久しぶりの連続投稿でございます。
決して暇なわけではありませんが、
天候もいよいよ怪(あや)しく、
体の状態もいよいよ怪しくなってきたので、
本日は外に出ず、
教室と職員室でおとなしく過ごしている次第です。
さて2本目は、タイムリーな話を。
本日は、福祉実践教室が開催されました。
3年生『手話』、
4年生『視覚障害者ガイドヘルプ』、
5年生『車いす』、
6年生『点字』、
というように、学年別でそれぞれ体験活動を行いました。
各教室に講師の方とボランティアの方をお招きし、
1時間程度ではありましたが、
貴重な機会を得ることができた様子です。
頭で理解する大変さと、
その身で体感する大変さには、
やはり大きな差があります。
ほんのわずかの時間ではありますが、
その後の感じ方や見え方が変わってくるものだと思います。
この福祉実践教室は、
極めて大切な時間だと、個人的には(きっと多くの方もですが)捉えています。
というのも、
村瀬自身、
とても苦い経験をしたことがあるからです。
そのことをぶつぶつしたいと思います。
今はすでに他界してしまいましたが、
かつて村瀬は祖父と同居していました。
晩年、
祖父はある病の後遺症もあって、足腰が弱くなり、
思うように自分で歩けなくなってしまい、
部屋にこもりがちの毎日を過ごしていました。
そんな祖父に対して、
優しく接することができない、
愚かな孫でした。
今更ながら後悔を募らせております。
ある年の春、
きっかけは覚えていませんが、
祖父に桜を見せてあげたい、
という気持ちが芽生え、
孫は珍しく行動に移しました。
福祉施設で働いていた従兄弟(いとこ)に無理を言い、
施設から車いすを貸し出してもらいました。
孫は照れながら祖父を誘い、
祖父は笑顔で応じてくれました。
祖父を車いすにどうにか乗せ、出発しました。
目的地は孫の母校である小学校です。
土手に立派な桜が並んでおり、
昔から孫のお気に入りの場所でした。
祖父は少し恰幅(かっぷく)のよい体型でしたので、
孫は苦労しながらも一歩一歩前に進んでいきました。
車道をあと一本渡れば、
小学校にたどり着くところまできました。
歩道から車道に出ようとするところで、
孫は悩みました。
そこは、かなりの傾斜で下っていたからです。
(まあ、ゆっくり押していけば、大丈夫だろう)
と考えた、
車いすの介助をほとんどしたことがなかった孫。
思考を実践に移したところ、
祖父は前のめりで転がってしまい、
手や足を強く打ち付けてしまいました。
幸い大事には至りませんでしたが、
それでもひどく痛かったはずです。
優しい祖父は笑って許してくれましたが、
孫の心には傷が残り、
今でも思い出すと、痛みが走ります。
坂道を下るときは、
車いすを後ろ向きにしてゆっくりと下がること。
愚かな孫でも、
今なら正しく介助できそうです。
それは他でもない、
福祉実践教室で子どもたちと学んだ成果です。
学んだことをみんなが社会で生かして、
ハンディを抱えた方が、
少しでも住みやすい世界に近づけたらよい。
講師の方からのレクチャーを、
真剣に受けている子どもたちを見ながら、
祖父の笑顔を想い出しながらそう願っていた、
愚かな孫の村瀬なのでした。
講師のみなさん、ボランティアの皆さん、
貴重な機会をありがとうございました。
それでは、また。