先生たちがブツブツブツ…(令和4年度)

突然、校外学習。

2022年6月16日 16時53分

こんにちは、村瀬です。

陽射しは強くありませんが、

じめじめした一日ですね。

相野山小学校(北新・五色園地区も?)名物、

「キノコバエ」の大量発生が起きそうな、

嫌な予感がしております。

 

さて、今朝のことです。

本日は野外活動の説明会がありましたので、

その準備にいそいそと励んでおりました。

そこに、事務職員のRさんと教頭先生がやってきました。

R「村瀬、ひまですか?」

村「いやいや、

見たらわかるでしょう。

珍くこうして働い…」

R「ああ、よかった。ひまで。

実はですね…」

村「話、聞いてます?

ほら、こうしてプロジェクターを…」

教「いいから黙って聞きなさい」

村「はい…」

教「今日6年生が校外学習でしょ。

 S先生一人で引率は大変だから、

 ひまな村瀬もついていきなさい」

村「いや、だからひまじゃ…」

R「行くの? 行かないの?」

村「行かせていただきます…」

 

ということで、

子どもたちは不思議そうな顔をしていましたが、

しれっとバスの乗り込み、

急きょ6年生の校外学習に付き添うことになりました。

内心では、

「ラッキー!」

と、思っていました。

久しぶりに「岩崎城」へ足を運べるのですから。

 

日進市民のみなさん、

岩崎城の歴史をご存じでしょうか?

特に、

「小牧・長久手の戦い」

において繰り広げられた戦いについて、

ご承知でしょうか。

その話をここで書き始めると、

興奮してきてしまい、

とんでもなく長いぶつぶつになる予感がしますので、

ぐっと我慢します。

 

でも、ちょっとだけご紹介しますと、

当時、

留守番役を任せられていた、

若干16歳の丹羽氏重(にわうじしげ)が守る徳川方の岩崎城に、

秘密裏(り)に作戦を実行していた、

豊臣方の池田恒興(いけだつねおき)率いる7000名近い軍勢が攻め込みました。

丹羽軍は300名近くの兵しかおりませんでしたが、

文字通り、「必死」の抵抗により(最終的には全滅してしまいました)、

城を落とすまでに多くの時間が費やされたがために、

豊臣方の作戦は失敗し、

結果、後の長久手の戦いにて徳川方が勝利を手にすることとなったのです。

 

もしも、

たやすく城を落とされ、

豊臣方が描いたとおりに作戦が遂行されていたのなら、

歴史は大きく変わっていたに違いありません。

ひょっとしたら江戸時代はなかったかもしれませんし、

今でもみんなちょんまげをつけて歩いていたのかもしれません。

 

それくらい、大きなターニングポイントとなった、

「岩崎城の戦い」なのです。

日進市はもっと大々的にアピールすべきだ、と、

以前、南小学校のT校長が熱く語っておりましたが、

村瀬も異存はございません。

岩崎城の方々も、

かわいらしい「ゆるキャラ」【にわさきくん】を作製したり、

「岩崎城刀劇隊」という組織を結成して、

「殺陣」(たて)を披露したりイベントを催したりして、

宣伝活動に励んでいらっしゃるようですが、

ぜひそれらを継続して、岩崎城の価値を広め、

日進市の宝としていただきたいものです。

 

と、ちょっとだけのつもりが、

案の定長めの脱線になってしまいました。

話を戻しますと、

6年生はそんな岩崎城を、

1時間半ほど、

すみずみまで見学しておりました。

 

子どもたちの手には、

おなじみ「探検バック」ではなく、

タブレットがありました。

最先端の道具を使って、

実に手際よくさくさくと、

遥か昔の出来事をまとめていく子どもたち。

その技量の高さに、

紙にメモしまくり(させまくり)世代の村瀬は、

口をあんぐりしてしまいました。

同時に、

過去と未来の邂逅(かいこう)を目にしているようで、

なんだか不思議な気分にもなりました。

 

「過去と未来の邂逅」なんて、

村瀬らしからぬ、

かっこいい表現をかましてしまったので、

なんだか恥ずかしくなってしまいました。

逃げるように話を閉じたいと思います。

あとは、校長ぶろぐ「児童の活動」をご覧くださいませ。

 

それでは、また。